安定した仕事があっても、「このままでいいのか」と感じる瞬間はある。やりたいことはあるのに、何から始めればいいか分からない。そんな停滞や迷いの中で、まずは小さく作って試す道を選んだのがジュリアンだった。
身近な不便を手がかりに、Notionの中でフォームを作れる拡張機能を形にする。広告に頼らず、ユーザーの熱量が宣伝に変わっていく流れをつかみ、やがて利用者は1,000人を超える。
ただ、次の壁は「無料から有料へ」。心が折れそうになる切り替えをどう乗り越え、月約150万円($10,000)の売上にたどり着いたのか。その過程には、個人開発を続けるための現実的な工夫が詰まっている。
コミュニティが熱くなると、宣伝はほぼ無料になる
ある道具に本気でワクワクしている人たちが集まると、宣伝は「会社が頑張るもの」から「みんなが勝手に広げるもの」に変わる。
広告を買わなくても、口コミで名前が回り、検索でも見つかるようになる。そんな流れをうまくつかんだのが、Notion向けの拡張機能「NotionForms」を作ったジュリアンの話だ。
見落としやすい起業アイデアは、身近な不便から生まれる
2020年、ジュリアンはロンドンでAWSに勤めていた。仕事は安定していたが、「自分の力で、小さく始めて事業を作る人たち」の世界を知り、ひとりで会社を作ることに強くひかれていった。
その年、生活が一気に動く。恋人がパリで仕事を見つけたこと、そして会社の都合で自分の担当プロジェクトが別チームへ移ることが決まったこと。この2つが重なり、ジュリアンは退職を選ぶ。パリに戻り、個人開発に集中する日々が始まった。
いくつもの小さなプロジェクトを同時に試す中で、中心にいたのがNotionだった。文章も表も扱え、チームでも個人でも使える。計画、顧客管理、メモ、発信の整理。何でも入る「箱」みたいな道具だ。
やがてNotionが開発者向けに仕組みを公開し、外部のサービスとつなげやすくなった。ジュリアンは考えた。
「Notionの中で、フォームが作れたら便利じゃないか」
ヒントはAirtableにあった。「質問に答える → データが表に入る」というフォーム機能だ。これをNotionでもできるようにする。それがNotionFormsの出発点になった。
ジュリアンはまず、完成度よりスピードを優先した。試作品を5日で作り、すぐ公開する。早く出せば、早く使われ、早くダメ出しが集まる。机の上で考え続けるより、現場の声のほうが正しいと分かっていたからだ。
コミュニティがマーケティングになる
公開から数か月で、NotionFormsは「無料で使える便利ツール」として広がっていった。最初の利用者の多くは、口コミと検索からやって来た。
小さな投稿が、あとから検索で効いてくる
最初にやったのは、Notionの話題が集まる掲示板に投稿することだった。
反応は小さい。最初の週に増えた無料利用者は20人ほど。それでも、その投稿は消えない。時間がたつほど価値が出た。
「Notionでフォームを作りたい」と検索した人が、その投稿にたどり着く。検索の入口が増え、じわじわ流入が積み上がっていった。
いちばん効いた宣伝は、開発者ではなく利用者が作った
驚くことに、最も効果が大きかったのはジュリアン本人の発信ではなかった。別の利用者が作った説明動画が拡散し、一気に登録が増えた。
作り手は機能を全部知っている。でも、使い手は「どこが嬉しいか」を自分の言葉で話せる。だから伝わる。NotionFormsは、ここで大きく跳ねた。
SNSのグループに地道に投げる
次にジュリアンは、SNSのグループ機能を使った。以前の事業で「グループ投稿は効く」と知っていたからだ。
Notion関連のグループに向けて定期的に投稿し、少しずつ認知を広げる。ある投稿が大きく反応し、初期利用者がさらに増えた。お金をかけない宣伝としては十分すぎる成果だった。
熱量の高い場所に入り、影響力のある人にも届ける
Notionが好きな人たちが集まるSNSでは、発信が強い人もいる。Notionの情報だけを扱い、フォロワーが多い人たちだ。
ジュリアンはそうした人たちにも連絡し、無料で試してもらうよう動いた。コミュニティの中心にいる人に届くと、話題が一気に広がることがある。
検索で見つかる仕組みを、最初から作る
検索からの流入を増やすため、役立つ情報ページも用意した。たとえば「Notion関連の発信者まとめ」みたいなリストだ。探している人にとって価値があり、自然に検索でも見つかる。
さらに、無料プランで作られたフォームの下に「NotionForms」の名前が表示されるようにした。フォームがシェアされるたびに名前も広がる。使われるほど宣伝になる設計だ。
こうしてフォーム作成に使う利用者は1,000人を超え、有料化に進む準備が整った。
無料から有料に変えるとき、いちばん心が折れそうになる
利用者が増えると、NotionFormsが「遊び」ではなく「仕事の中心」になっている人も見えてきた。
たとえばマレーシアの農家は、作業管理にNotionFormsを使い、従業員にスマホを持たせて入力させていた。ほかにも業界はバラバラで、いろいろな現場に入り込んでいた。
だからこそ、有料化は怖い。急に壁を作れば、離れる人も出る。
ジュリアンは段階的に切り替える方法を選んだ。新機能の近くに「この日から無料ではなくなる」と案内を出し、切り替え時には既存利用者向けに生涯割引も用意した。
有料化初日、フランスの写真家が年額プランを買った。高機能が必要だったからではない。丁寧な対応へのお礼として支払ったという。
ここで分かるのは、支払いは機能だけで決まらないことだ。信頼やサポートも価値になる。
ただ現実は甘くない。1,000人以上の利用者がいても、割引コードを使って支払った人は最初の数週間で15件ほどだった。
その後、価格は月約2,200円($15)に落ち着いた。利用量で値段が変わる方式だと、フォームが広まった会社ほど負担が増える。定額のほうが合うと判断した。
粘り強く続けた結果、支払う利用者は少しずつ増えた。2022年には月約2,800円($19)に値上げし、企業向けの上位プランも追加。2022年7月、月の売上は約150万円($10,000)に到達し、そのうち約2割は企業向けプランになった。
機能追加は「全部やる」より「困らない」を守る
NotionFormsの改善は、派手に増やすより、利用者が困らない範囲で着実に進める方針だった。
フォーム作成ツールは世の中にたくさんある。だから利用者は「これくらいはできるはず」という基準を持っている。そこを外すと不満になる。
新機能を入れるかどうかは、市場の調査と作り手の感覚を組み合わせて決めた。要望が多いものを優先しつつ、方向性と合わないものは断る。
全部の要望に応えるのではなく、多くの人の使い方の大部分をカバーする。そこに集中した。
1日1時間で回すために、スピードと備えを両立する
急成長の一方で、不安もある。Notion本体が同じようなフォーム機能を出したら、NotionFormsは大きな影響を受けるかもしれない。
そこで2022年5月、開発スピードを上げるためにエンジニアを1人雇った。同時に、もしものときに備えて別のプロジェクトも進め始めた。
ジュリアンが一貫して大切にしているのはスピードだ。早く公開し、早く意見を集め、早く直す。迷っている時間が長いほど、スタートが遅れる。でも一度出せば、次のアイデアも出やすくなる。
作っている様子を公開しながら進めるのも、信頼や応援につながると考えている。
当面は大きなチームを作らず、できるだけ自動化して成長させる方針だ。今は1日1時間未満の作業で回っている。無理なく続けられる形こそ、燃え尽きないための仕組みになる。
