会社員として毎日決まった時間に出社する生活が、どうしても合わなかった。家賃もある。貯金も十分じゃない。それでも「家で働ける仕事を自分で作る」と決めたのは、犬を長時間ひとりにしたくなかったからだ。
実績ゼロで仕事を探し、単価を下げてでも評価を積み上げる。専門を絞ってようやく安定してきたのに、今度は「制作会社のように回り始めた現実」が、SaaSを作りたい気持ちを遠ざけていく。
返金で約740万円(約5万ドル)を失い、それでも方針転換後の最初の20日で約8,900万円(6万ドル)を積み上げた。月約1,400万円(9万5千ドル)、年商約2億1,000万円(140万ドル)まで伸ばした先で、何が起きたのか。転び方も含めて、そのまま辿る。
制作会社を踏み台にSaaSへ行こうとした創業者の話(転び方も含めて)
ズラトコが会社員をやめた理由は、出世でも給料でもない。犬だった。
2016年ごろ、在宅勤務はまだ当たり前ではなかった。毎日決まった時間に出社して会社の歯車として働く生活が、ズラトコには合わなかった。犬を長時間ひとりにしたくない。ハイキングもしたい。何かを作る時間もほしい。だから「家で働ける仕事を自分で作る」と決めた。
ただ、貯金は十分じゃない。家賃もあるし、犬のごはん代もある。のんびり準備している余裕はなかった。
実績ゼロからの仕事探し
ズラトコはオンラインの仕事募集サービスに登録し、プロジェクト管理や技術の経験で勝負するつもりだった。
だが、最初の壁はシンプルだった。評価がない。実績が見えない。応募しても選ばれにくい。
そこでまず単価をかなり下げた。「安くてもいいから実績を作る」。この作戦で少しずつ仕事が取れるようになった。
続けるうちに、ある傾向に気づく。ネットショップの構築に詳しい人を探す案件が多いのだ。
ズラトコは空き時間でその分野を勉強し、「ネットショップに強い専門家」として打ち出し直した。専門を絞ると仕事は安定し、顧客探しの苦しさも薄れていった。
この時点で、壮大な夢があったわけじゃない。犬と一緒に家で過ごして、生活を回す。それが一番大事だった。
そんな中、流れを変える依頼が来る。プロジェクトマネージャーとして雇われたはずなのに、実際は開発者を探し、外部業者をまとめ、チームを動かすところまでやっていた。なのに報酬は増えない。
そこで思った。「これ、もう小さな制作会社みたいな動きだ。だったら最初から会社として受けたほうがいい」
会社名はタコスから生まれた
ズラトコは友人2人を誘った。1人はプロジェクト管理、もう1人はデザイン担当。チームができた。
次は会社登録だ。名前が必要になる。打ち合わせ中、3人のうち2人がタコスを食べていた。そこから制作会社の名前は「Tako Agency」になった。タコスはだいたい誰にでも好かれる、という軽いノリもあった。
立ち上げてすぐ、初月に約440万円規模(3万ドル)の案件が決まった。
嬉しいはずなのに、ズラトコは不安になった。チームにはまだ開発者がいなかったからだ。それでも引き返さなかった。「一緒に解決して、最高の結果を出す」。そう言って前に進んだ。
最初の大きな仕事は、アラスカの水産会社の業務改善だった。紙中心の管理を、使いやすいデジタルの流れに変える。地味で難しい題材だ。
それでもチームはやり切った。しかも、水産の仕事を魅力的に見せるところまで形にした。この経験でズラトコは確信する。「難しい題材でも、ちゃんと形にできる」
その後もオンラインの仕事募集サービスで顧客を増やし、レビューや推薦コメントが積み上がっていった。検索で見つけてもらう工夫も続けた結果、数か月後には広告に頼らない問い合わせが増え、仕事も増えた。
数字だけ見れば順調だった。
でもズラトコの心は落ち着かなかった。会社員をやめた理由は、健康的な働き方とSaaSのアイデアを形にする時間を作るためだった。ところが現実は、顧客対応に追われ続ける毎日。SaaSどころじゃない。
計画が崩れたとき、会社は揺れた
追い打ちをかけたのは、世界的な感染症の流行だった。未払いの請求書が増え、苦境に立たされた顧客から前金の返金を求められるケースも出た。
ズラトコは相手の事情に心を痛め、合計で約740万円(約5万ドル)を返金した。
その優しさが、会社の資金繰りを一気に苦しくした。
気持ちも落ちた。ソファから動けない日もあった。それでも給料の支払いは待ってくれない。
ズラトコは悩みを外に出す場所としてポッドキャストを始めた。他の起業家に相談し、苦しさも含めて共有するためだった。
そこで返ってきた助言は、かなり現実的だった。
- 単発案件ばかりだと、収入が読めず資金繰りが不安定になる
- 毎月一定額を払う「継続契約」に切り替えるべき
- 最低でも2万ドル以上の案件だけを受けるべき
ズラトコは迷った。それでも失うものは少ないと判断し、方針を変えた。
切り替え後、最初の20日で売上が約8,900万円(6万ドル)増えた。タイミングも良かった。実店舗を閉めてオンライン販売へ移る企業が増え、ネットショップの需要が高まっていたのだ。
2020年末には、継続契約だけで月約1,400万円(9万5千ドル)に達した。2021年には年商約2億1,000万円(140万ドル)まで伸びた。
ただ、急成長には別の顔があった。忙しさが増し、ズラトコはますますSaaSに時間を割けなくなった。
そこで一度前線を離れ、社内のクリエイティブ責任者がCEO役を引き受ける形にした。「昨日までに終わらせてほしい」と言われ続ける働き方は人を燃え尽きさせる。役割を渡したことで、ズラトコはようやく自分の時間を取り戻した。
そしてSaaS作りに集中する。開発者も雇い、制作会社の利益を使ってSaaS開発に特化した別組織「920Four」も立ち上げた。
大きくしすぎた代償
しばらくは回っていた。
だがズラトコとCEOが別々の道を選ぶことになり、状況が変わった。制作会社の現場対応がズラトコに戻り、920Fourは止まった。
制作会社の資金も深刻になった。
理由は単純だった。制作会社の利益の多くを920Fourに投資していたため、仕事が減る時期に備える余裕資金がほとんどなかった。好調なときは危険に見えない。でも案件が落ち着くと、一気に苦しくなる。
920Fourは凍結。制作会社も危機的な状態に陥った。
ズラトコはチームを解雇しない選択をした。混乱の中でも支えてくれた仲間を手放したくなかった。その代わり、生命保険から資金を引き出して支払いに回し、新しい顧客を取って立て直すしかないと腹をくくった。
インタビュー時点では、資金繰りの混乱の真っ最中だった。給料の支払いを遅らせざるを得ない状況もあった。
お金の問題は語られにくい。それでもズラトコが隠さず話したのは、自己資金で起業する人が同じ失敗を繰り返さないためだった。成長を急ぎすぎた結果、立て直しが必要になった。
それでもズラトコは、これまでも困難から立ち直ってきた。今回も立て直すつもりで動いている。そばには犬がいる。しかも、もう1匹増えた。
この話から見える注意点
- 単発案件だけに頼ると、収入がブレやすい
- 継続契約は資金繰りを安定させるが、忙しさも増えやすい
- 新規事業へ投資しすぎると、本業が落ちたときの逃げ道がなくなる
- 急成長は気持ちいいが、体制と余裕資金がないと後で重くのしかかる
