無料ツールは、広がりやすい。使う人が増えれば手応えも集まって、「これ、いけるかも」と思える瞬間も増えていく。
でも、ずっと無料のままでは続かない。ユーザーが増えるほどコストも増えるのに、収入がない。気づけば、前に進んでいるはずが足元だけが苦しくなっていく。
Metro Retroも同じ壁にぶつかった。登録者が50万人を超えても、ほとんど儲からない。それでも手を止めず、仕組みを変えた結果、ある施策のあと「1か月以内に黒字」へ。無料ツールが「続くビジネス」になるまでの道のりを追う。
無料ツールを「続くビジネス」に変えた話
無料で出したプロダクトは広がりやすい。使う人が増えれば、感想も集まる。直すべきところも見える。名前も知られるようになる。
でも、ずっと無料のままだと会社は続かない。サーバー代も時間もかかるのに、収入がないからだ。どこかで「お金を払ってもらう仕組み」を作らないと、物語は終わる。
Metro Retroは、まさにその壁にぶつかった。そして、無料ツールから売れるSaaSへ変わっていった。
10年一緒に働いた3人
スティーブン、リサ、ジェイミーは、約10年同じ職場で働いていた。
スティーブンはプログラマー。リサはプロジェクト管理。ジェイミーはプロダクト管理。チームでアプリを作り、アジャイルというやり方で仕事を進めていた。短い期間を「スプリント」と呼び、計画して作って振り返る、を繰り返す。
ただ、スプリントの最後に行う「振り返り」だけが面倒だった。
ホワイトボードと付せんの苦しさ
振り返りでは、うまくいったこと、うまくいかなかったことを出し合う。昔ながらのやり方はこうだ。
付せんに意見を書く。ホワイトボードに貼る。順番に読み上げる。最後に誰かが別の場所にまとめ直す。
これで30分くらい飛ぶ。しかも紙は捨てられがちで、後で見返せない。遠くにいるメンバーを混ぜるのも難しい。
スティーブンは思った。「これ、オンラインのホワイトボードでできないか」
そこで作り始めたが、途中で止まった。忙しくなると、個人プロジェクトは止まる。よくある話だ。
ハッカソンで一気に形になった
2016年、会社でハッカソンが開かれた。短時間で何かを作り、成果を競うイベントだ。
スティーブンは、止まっていた試作品を引っ張り出した。仲間と一緒に24時間で作り切った。
できたのは、振り返り用のシンプルなツールだった。
- 画面がリアルタイムで更新される
- 自分だけが見える付せんを書ける
- 内容を書き出せる
これがMetro Retroの原型になる。しかもハッカソンで優勝した。
ただ、その後また放置された。仕事が忙しくなると、やっぱり止まる。
未完成なのに、勝手に使われていた
約1年後、スティーブンは驚く。友人たちが会社でそのツールを使っていた。
バグも多い。未完成。それでも使われていた。
ここでスティーブンは気づく。「これは欲しい人がいる」
そこから夜と週末を使い、最低限ちゃんと動く形を目指して作り続けた。
約1年半後の2019年、ようやく正式公開まで持っていった。公開を手伝ったのがリサだ。コミュニティで話題になり、最初の1年で1万人が登録した。感想が集まり、改善の材料も増えた。
コロナで一気に広がった
2020年3月、在宅勤務が一気に増えた。
会議をオンラインに移したチームは、「同じ部屋で話している感じ」が消えて困った。そこでMetro Retroが刺さった。
わずか3週間で、さらに1万人が登録した。
Metro Retroは、オンラインでも一緒に考え、動きのある会話を作ることを狙っていた。文字だけの会議より楽しく、チームの空気を少し戻せた。
この頃、スティーブンとリサはジェイミーを共同創業者として迎えた。売ること、伸ばすことが必要になったからだ。リサは別の仕事も続けていたので、日々の運営は主にスティーブンとジェイミーが回した。
登録50万人でも、ほとんど儲からない
Metro Retroは増えた。登録者は50万人を超えた。
なのに、ほとんどお金が入らない。理由は単純だった。全部無料だったからだ。
3人はまだ自分たちに給料を払えず、貯金を削っていた。ユーザーが増えるほどサーバー代もかかる。無料はやさしいが、現実はきびしい。
最初から有料プランを入れる道もあった。でも3人は考えた。「将来もっと大きくするなら、作り直しが必要だ」。だから当面は無料で続けた。
作り直しを選んだ理由
2020年9月、スティーブンは2つ目の版の開発を始めた。中身を一から組み替える、大きな作り直しだ。
スタートアップでは「作り直しは避けろ」とよく言われる。時間がかかり、失敗しやすいからだ。
それでも作り直した。理由ははっきりしていた。
振り返り専用ツールでは終わりたくなかった。いろいろな会議に使える共同作業ツールにしたかった。目的に合う土台を、最初から作りたかった。
同時に、3人はお金の計算を現実的にやり直した。貯金が減っていた。無料のままでは続かない。Metro Retroを「利益が出る形」に変える必要があった。
料金をつけたら、初めて話が動いた
2021年、ジェイミーとスティーブンは価格を作った。考え方は「席数課金」だ。使う人数が増えるほど料金が上がる。
2つ目の版は、いきなり全員に公開しなかった。希望者から順に使えるようにした。
無料で満足している人は多い。それでも、有料版でできることを見せると切り替える人が出た。2人は思った。「もっと早くやればよかった」
毎月の売上が約75万円($5,000)のラインに届くまで、6か月かかった。ジェイミーは公開後の数か月で100回以上デモをした。
小さな契約から始まり、40人、100人と大きな契約につながっていった。
ただ、それでも成長は遅かった。原因は別にあった。
成長を止めていたのは「手作業」
導入の流れが手作業だった。
請求書を作って送る。顧客アカウントを設定する。ジェイミーが一社ずつ対応する。
これでは、売れるほど苦しくなる。
そこで次の一手を打った。ユーザーが自分で申し込み、支払いまで終えられる仕組みをプロダクト内に入れる。
自動化したら、1か月で黒字になった
2022年4月、無料お試しから支払いまで、ユーザーだけで完結できるようにした。
すると1か月以内に黒字になった。ようやく創業者が自分たちに給料を払えるようになった。
その後は、部署単位での導入や複数年契約も増えた。既存顧客が上位プランへ切り替える動きも出てきた。
最大の教訓は「待ちすぎない」
3人が強く感じた教訓がある。
料金を取るのを遅らせすぎないこと。
売上が立ち上がるまでの時間を短く見積もっていた。「あと3か月で大きく伸びるはず」と考え続けてしまう。貯金でしのげると思ってしまう。でも、現実はそんなに早く進まない。
無料ユーザーのうち数パーセントが有料になれば、という計算を何度もした。数字の上では希望が見える。でも実際には、その「数パーセント」を作るのが一番難しい。
しかも皮肉なことに、最初の版のユーザーから「払いたいんだけど、どうすればいい?」と聞かれることがよくあった。
払いたい人がいるなら、払える道を用意すべきだった。結論はシンプルだ。
広告なしでも広がった理由
Metro Retroは、ほぼ口コミだけで広がった。広告費はほとんど使っていない。
3人はマーケターではない。SNSで派手に発信もしない。やっていたのは主に更新情報のメールくらいだ。
それでも広がった理由は、このツールが「一人で完結しない」からだ。
会議で複数人が一緒に使う。アジャイルコーチやスクラムマスターがチームに持ち込む。コンサルタントが顧客との会議で使う。そういう中心人物が、会議のたびに別の人へ見せる。
結果として、ユーザーがユーザーを連れてくる形になった。
紙吹雪が運んできた新規ユーザー
意外な人気機能もあった。
ホワイトボード上で、お祝いの紙吹雪を飛ばせる機能だ。会議が少し楽しくなる。こういう分かりやすい楽しさは共有されやすい。口コミの強さは、機能の便利さだけじゃなく、感情の動きにも支えられていた。
テンプレートが入口になった
ウェブサイトでは、使い方の説明だけでなく会議用テンプレートも用意した。
たとえば「スプリントの振り返りをやりたい」と検索した人がテンプレートにたどり着く。そこから無料登録して、すぐ始められる。プロダクトに入るための道を、ちゃんと作った。
次は「人を増やす」ための成長
今の体制は小さい。主にスティーブンが開発、ジェイミーが営業とサポート。その他も2人で回している。
新しい集客方法に投資し、チームを広げるのが次の目標だ。経験のない分野は学ぶか、経験者を雇うしかない。
そのための次の売上目標は、ソフトウェアエンジニアとマーケティング担当を雇える状態になること。
役割を増やし、創業者が成長に集中できるようにする。Metro Retroを一時のブームで終わらせず、長く続くSaaSにするための次のステップだ。
