月99ドルの申し込みが5件。それだけで、「このサービスは作る価値がある」と確信した。
インド・ムンバイで育ち、家計がぎりぎりの空気を知っていたヤシュは、早い段階で「いい暮らしにはお金が要る」と理解していた。だからこそ、大学の教室よりも"売る現場"を選び、電話をかけ続ける日々で腕を磨いていく。
広告が効かなくなり、毎日20時間働いても伸びない。そんな行き止まりから、彼はどうやってSARALを形にし、売上約1億円($1,000,000)超まで積み上げたのか。
いい暮らしは、誰かにもらうものじゃない
ヤシュ・チャバンが子どものころ、教室は小さな市場みたいだった。あめやえんぴつをまとめて買って、少しだけ上乗せして友だちに売る。手に入るのは小さなお金。それでもヤシュはうれしかった。自分の工夫で、昨日より少しだけ前に進めた気がしたからだ。
ヤシュはインドのムンバイで育った。家計はいつもぎりぎりで、月の終わりが近づくほど空気が重くなる。だから早くから気づいていた。いい暮らしには、きれいごとじゃなく、お金が要る。
ヤシュの頭に強く残っている「成功した大人」の姿がある。父の上司だった。きれいな服、金色の腕時計、そして車。街の景色まで違って見えた。一方でヤシュの家は、電車で移動し、入ってくるお金の範囲で静かに暮らすしかなかった。
ある日ヤシュは父に聞いた。「どうしてあの人だけ、あんなに持ってるの?」
父は短く答えた。「自分の商売をしてるからだ」
その言葉が、ヤシュの中に釘みたいに打ち込まれた。いつか自分も商売をする。そう決めた。
大学の教室より、売る現場に行きたくなった
けれど現実は簡単じゃない。ヤシュは大学で工学を学ぶ道を選んだ。周りと同じレールに乗ったほうが安全に見えたからだ。
ただ、机に向かって技術者として働く未来を想像すると、胸が重くなった。「このままじゃ、自分の商売には近づけない」そう思った。
ヤシュは起業家の話を動画で見まくった。成功談だけじゃなく、売れない日々や失敗の話も。そこで強く感じたのが、商売で一番大事なのは「売る力」だということだった。
家族や友人は止めた。それでもヤシュは大学をやめ、売る仕事に飛び込んだ。怖さはあった。でも、ここで引き返したら一生後悔する気がした。
電話をかけ続けた日々が、武器になった
2010年代のインドは、売る仕事のチャンスが多かった。国全体が勢いよく成長していて、新しい商売が次々に生まれていたからだ。
ヤシュはインドには「少ないもので工夫して何とかする」空気があると言う。お金が足りないなら、知恵で埋める。人が足りないなら、動きで埋める。そういう粘りが町に染みついている。
最初の仕事はムンバイで、サッカー場の人工芝コートを時間貸しする枠を売る仕事だった。問題は、空き時間が多すぎること。そこでチームは考えた。サッカー以外の使い方を増やせばいい。ジムに声をかけて、屋外ヨガやピラティスの教室として使ってもらう提案を始めた。
ヤシュは電話をかけ続けた。断られても、またかけた。売るとは何か、人はなぜ買うのか、断り文句の裏に何があるのか。体で覚えていった。
その後もいくつかの仕事を渡り歩いた。アメリカ向けのネット販売を試したり、動画を出す会社でネット集客を担当したり。どれも「売る」という一本の線でつながっていた。
2020年にはKodo Cardという新しい会社に入った。人数が少ない時期から参加し、最初のカード営業として新規客を取りにいった。毎日、何百件も電話をかけ、メールを送り、手順を整える。売るだけじゃなく、仕組みを作る感覚もここで身についた。
やがて在宅勤務の波に乗り、アメリカのシリコンバレーの会社でも働くようになった。金融の仕組みを使ったサービスを売る中で、技術系の会社の動き方や、大企業相手の売り方も学んだ。
ヤシュは、インドのスタートアップとアメリカのスタートアップには違いがあると考えた。インドは人手を厚くして前に進むことが多い。アメリカは出すものを絞り、品質に強くこだわることが多い。どちらにも強みがある。
立ち上げ期の会社が好きだった。仕組みがない場所に仕組みを作り、数字が上がり始める瞬間が楽しい。落ち着いてくると、また次を探したくなる性格でもあった。
ただ、生活費のための仕事とは別に、ヤシュが本気で育てていたものがある。Import Growthという個人の相談業だった。
広告だけに頼ったら、足元が崩れた
Import Growthは、会社の広告運用を手伝う仕事だった。当時はフェイスブック広告が強く、広告費の一部を手数料として受け取るやり方が広く使われていた。
ヤシュは、技術が得意な創業者ほど「良い物を作れても売るのが苦手」になりやすいと考えていた。だから自分が外部の販売・宣伝担当として入り、伸ばす。そこに勝ち筋があると思った。
最初は一人で始めた。それがうまく回り始め、4人のチームになった。数か月で、毎月入ってくる売上は大きくなった。
でも、その好調は長く続かなかった。1年ほどたったころ、フェイスブック側の変更で広告の当たり外れが激しくなった。今まで効いていたやり方が、急に効かなくなる。利益は落ちた。
広告に頼り切る怖さを、ヤシュはここで思い知った。
発信者の力は、拡声器みたいだった
2021年の終わりごろ、ヤシュは追い込まれていた。個人情報を守る流れが強まり、フェイスブック広告の「狙った相手に当てる精度」が下がった。多くの広告が以前のように成果を出せなくなっていた。
生き残るには、別の道がいる。ヤシュの目に入ったのが、動画サイトや短い動画アプリで広がっていたインフルエンサーを使った宣伝だった。インフルエンサーが商品を紹介すると、一気に人が集まることがある。広告よりも速く、強く広がる場面もあった。
ヤシュは、インフルエンサーを使った宣伝を「規模の大きい口コミ」だと考えた。ふつうの口コミは、1人が話せる相手がせいぜい100人。インフルエンサーなら、1人で何万人にも届く。
ヤシュはネットショップ向けに、フォロワー数が少なめのインフルエンサーを束ねる方法を試みた。多くのインフルエンサーに連絡し、紹介した分だけ報酬が入る形で協力してもらう。
ある健康食品の会社では、75人のインフルエンサーを集めることに成功した。売上が急に伸び、在庫が足りなくなるほどだった。
成果は出た。けれど代わりに、ヤシュの時間が消えていった。毎日20時間働くような状態になった。それでも、毎月の安定収入は思うように伸びない。人手が必要な仕事には限界がある。
もっと大きくするなら、同じ人数でも多くの会社を支えられる形に変えなければならない。ヤシュは決めた。サービスとして形にする。
インフルエンサー管理は、裏側がいちばん面倒だった
ヤシュのチームは、いくつもの別々のサービスや表計算ソフトをつなぎ合わせて、インフルエンサーとのやりとりを管理していた。
支払い。成果の記録。投稿の予定。投稿内容の保存と再利用。関係を続けるための連絡。表に見えない作業が山ほどある。ここが詰まると、どんなに良いインフルエンサーがいても回らない。
だからヤシュには自然に見えた。ここをまとめて管理できるツールが必要だ。インフルエンサーと会社のやりとりを一つに集めるサービス。それがSARALの出発点になる。
ヤシュは、いきなり全部を作りこまなかった。まず「こういうサービスがあったら買うか」を確かめた。ネットショップでインフルエンサー担当をしている人たちに、約2000通のメールやメッセージを送った。
数週間で45人と話し、そのうち5人が月約1万5000円($99)で申し込んだ。事業計画の文章を整える前に、先にお金が動いた。ヤシュは確信した。これは作る価値がある。
外注したら、動かないボタンが返ってきた
次の壁は、作る人だった。ヤシュは時間を節約するため、外部の開発会社に頼んだ。
ところが届いた試作品はひどかった。見た目も文章も雑で、ボタンが動かない箇所まである。これでは人に見せられない。ヤシュが目指す品質に届いていなかった。
その後、社内で開発者を探し、ようやく形になってきた。けれど、しばらくしてその開発者にも信頼面の問題が出て、チームに残れなくなった。
ヤシュは痛感した。良いサービスは、ほどほどの人材では作れない。実力だけじゃない。信頼できることが、同じくらい大事だ。知り合いのつながりから紹介された人のほうが、うまくいくことが多い。そう学んだ。
SARALは2022年12月に公開された。そこから伸び方が変わった。2023年末までに売上は約1億5000万円($1,000,000)を超え、顧客は200社を超えた。2024年のはじめごろには、月約7万5000円($499)からの高めの料金でも利用者が増えていた。
子どものころに見上げた、いい車やきれいな服は、もう遠い夢ではなくなっていた。
商売は派手に見える。でも中身は泥くさい
ヤシュは今でも、工学の大学をやめて売る仕事に進んだ判断は正しかったと考えている。商売をしたいなら、長年かけて技術を学ぶより、売り方や広め方を学ぶほうが近道になりやすい。
売る仕事や広める仕事では、細かい機能より「人の気持ち」を読む力がものを言う。相手は何を怖がっているのか。何を信じていないのか。何があれば前に進めるのか。そこを外すと、どんなに良い物でも動かない。
ただし、商売は甘くない。外から見ると、起業はかっこよく見えることがある。でも実際はきつい。資料さえ作れば資金が集まり、あとは楽に進む。そんな話を信じたくなる瞬間もある。けれど現実は、苦しい場面の連続だ。
ヤシュは自分にルールを作った。最悪を想定して動く。大変さは想像の10倍、いやさらにその10倍くらいだと思って見積もっておく。そのくらい構えておけば、心が折れにくい。
そしてヤシュには、もう一つの狙いがある。インドのスタートアップの見られ方を変えたいのだ。インドは長い間、海外企業から仕事を受けて開発する国として知られてきた。これからは、世界に通用する自社製品を作る国として知られたい。その流れをSARALが引っ張りたい。
売る仕事に人生をかけるのは無茶に見えるかもしれない。でも、新しい会社を作ること自体が同じくらい大きな賭けだ。ヤシュにとって、売る現場で鍛えた日々は、創業者としての苦しさに耐える準備だった。
振り返ったときにだけ、正しかったように見える賭けがある。ヤシュはそれを、最初から信じて走った。
