100社以上に応募しても、返事はゼロ。テクノロジー業界に入りたくても、入口にすら立てない――そんな状態からマット・ルイスの物語は始まった。
ようやくつかんだ「たった一度のチャンス」は、人生を変えただけでは終わらなかった。支えてくれた人たちへの感謝が次の誰かへと受け継がれ、やがて会社の根幹になっていく。
資金繰り、信頼づくり、そして病気の告知。決して平坦ではない現実の中で、彼はどうやって仲間を増やし、TroutHouseTech(THT)を形にしていったのか。
「恩送り」で広がったチャンスの物語
マット・ルイスは、何度も不採用を経験してきた。
大学卒業後、テクノロジー系の会社に100社以上応募したが、どこからも声はかからなかった。在学中の4年間、卒業後に備えて懸命に準備を重ね、スマホアプリの成長を見越してSwiftも独学で習得した。それでも結果は変わらず、興味を示す会社は一社もなかった。
もう建設業を営む叔父のところへ戻ろう。そう決めかけた矢先、プログラミングのブートキャンプ合格の通知が届く。
人生は、たった一通のメールで向きが変わることがある。マットにとって、それがまさにその知らせだった。
この経験が、のちに会社の根幹となる。テクノロジー業界には、見落とされやすい人がいる。バックグラウンドが違うだけで、入口に立てない人がいる。マットは、そういう人が働ける場所を増やしたいと思うようになった。
こうして生まれたのがTroutHouseTech(THT)だ。多様性・公平性・包摂性を宣伝文句としてではなく、会社の思想そのものとして体現する組織である。
必要だったのは「たった一度のチャンス」
ブートキャンプではSalesforceを中心に学んだ。修了すれば就職につながると言われており、マットはその機会に飛びついた。
生活は厳しかった。配車サービスの仕事もしたが、収入は十分ではない。建設現場に戻れば、体格のせいで床下や屋根裏のような狭い場所を任されがちだ。だからこそ、別の道で結果を出したかった。
マットは食らいついた。吸収の速さは群を抜き、成績も上位だった。
ところが修了後、想定外の展開が起きる。企業に紹介されるどころか、ブートキャンプの運営側がマットを社内で雇うと言い出したのだ。
マットは1年間、今度は講師として教える側に回った。クラスをリードし、受講生を支えながら、週60時間働くことも珍しくなかった。気づけば、生活の質が少しずつ削られていく感覚が強くなっていた。
そして独立を決意する。フリーランスの技術コンサルタントとして、Webサイトやモバイルアプリの改善支援を軸に活動するつもりだった。
武器はSalesforce。ブートキャンプでも中心に据えていた分野だ。ただ、案件の幅を広げるには別の技術も必要になる。大学時代に触れたプログラミングを、もう一度学び直した。
数か月は貯金を切り崩しながら仕事を探したが、経験の少なさが壁になった。実績のない人間に、会社は大事な仕事をなかなか任せてくれない。
そこでマットは戦い方を変えた。競合よりもかなり低い価格で仕事を引き受けることにした。必要なのはまたしても「誰か一人がチャンスをくれること」だと分かっていたからだ。
狙ったのは小さな会社だった。学歴や肩書きよりも、即戦力を求めている可能性が高い。読みは当たり、最初の顧客をつかむことができた。そこから仕事は少しずつつながっていった。
ただ、別の問題も見えてきた。価格の安さを喜ぶ一方で、顧客がどこか不安そうなのだ。
話を聞くと理由は明確だった。過去にだまされた経験を持つ創業者が多く、開発がうまくいかずに大金と時間を失っていた。失ったものは戻らない。だからこそ、警戒心が強い。
マットは講師としての経験を活かした。難しい話をかみ砕いて丁寧に説明し、相手が納得するまで言葉を尽くす。そして、できるだけ早く成果物を出す。信頼は言葉ではなく、積み重ねた結果からしか生まれないと知っていた。
資金がないままチームを作る
顧客は増えた。だが、マットの手元にお金が残るわけではなかった。
当時は完成品を納品してから報酬が支払われる形が多く、作業中の資金繰りが苦しい。助けが必要でも、無償で働いてくれる人はそう簡単には見つからない。
それでもマットは協力者を探し続け、求人の場で一人の開発者と出会う。ナイジェリアのエドワーズ・モーゼスだ。
エドワーズはマットのビジョンを信じ、報酬がすぐに出ない可能性を理解したうえで協力を申し出た。資金より先に、信頼でつながった最初の仲間だった。
ようやく体制が整い始めた。そう思った矢先、マットの体に異変が起きる。視界がおかしい。眼科を受診すると、すぐに救急へ行くよう告げられた。
検査の結果は脳腫瘍。仕事が軌道に乗り始めたタイミングでの告知は、あまりにも残酷だった。
それでもマットは、病気に人生を決めさせたくなかった。これは乗り越えるべき障害の一つだ。そう向き合った。
状態は深刻だった。1フィート先も見えず、すべてがぼやける。左耳も聞こえにくい。それでもマットは割り切った。ソフトウェア開発なら、画面の近くが見えれば仕事はできる。
支え合いが生んだ「恩送り」
マットを動かしたのは、周囲の支えだった。
保険がない中で、同僚だけでなく、それほど親しくない人までがSNSなどを通じて手を差し伸べてくれた。金銭的な支援も、言葉による励ましも。誰かが声をかけてくれる。それが、踏ん張る力になった。
この経験が、のちに「恩送り」という考え方につながっていく。受け取った助けをその人に返すだけでなく、次の誰かへ渡していく。そんな発想だ。
手術前、マットはエドワーズに伝えた。数日間、意識がない状態になるかもしれない。対応できるよう準備しておいてほしい、と。
命に関わる状況でも、仕事を止めるつもりはなかった。
手術から約3週間後、視力は回復した。そこからまた前へ進み始め、1か月後には放射線治療も始まったが、仕事は続けた。
会社が少しずつ形になってくると、マットは最初に抱いた目標を思い出す。見落とされがちな人を支えたい、という思いだ。
それまでは生き延びることと仕事を回すことで精一杯だった。だがTHTが成長するにつれ、業界に入りにくい立場の人にスタートの機会を作れるところまで来た。
ただ、理想だけでは回らない現実もあった。納品後払いの仕組みでは、会社が先に人件費を払えない。人を雇いたくても雇えないのだ。
そこでマットは、支払いの仕組みそのものを変えた。納品確認ごとの後払いから、毎週支払う形へ切り替え、キャッシュフローを安定させた。
この変更が功を奏した。THTは月あたり平均約450万円規模の売上(3万ドル)を得られるようになった。
多様性は社内から始まる
新しい支払いモデルが整うと、チームも会社の目的に近づいていった。
顧客はマットの言葉だけでなく、実際に働くチームを見る。THTのチームは約3分の1が女性で、有色人種のメンバーも多い。さまざまなバックグラウンドを持つ人が自然と集まる形になった。
同時にTHTは、成果物の質にも強くこだわる。良いものを低コストで作るノウハウを持ち、その分のコスト削減は顧客に還元する。
最初から派手で高価な試作品を作るのではなく、まずは堅実に使えるものを作る。そこから機能追加や改善を重ねて育てていく。現実的で、長く使えるアプローチだ。
マットは採用だけで多様性を語らなかった。さらに一歩踏み込む。
自身がブートキャンプに救われた経験から、社会的に不利な立場に置かれやすい人向けの小規模ブートキャンプを立ち上げた。スタートアップの顧客とも連携し、学びと仕事がつながる道を整えていった。
ミニ・ブートキャンプの仕組み
THTは若手の開発者を集め、スタートアップ業界で働くためのトレーニングを提供している。
学習は自分のペースで進められる形式で、実際のスタートアップの現場とも組み合わせた実践的な内容だ。
スタートアップ側は多様な人材と出会える代わりにTHTへ管理費を支払い、学ぶ側には実務経験が生まれる。企業と人材、双方が前に進める仕組みだ。
マットは、自分の経験が誰かの背中を押す材料になることを願っている。
挑戦しなかったことを後悔してほしくない。何が起きるか分からないからこそ、やりたい気持ちがあるなら踏み出せ。マットはそう考えている。
社名に隠れた意外な由来
TroutHouseTechという社名にも、マットらしいエピソードがある。
大学時代、友人たちと冗談交じりに言い合っていた。「成功したら、Trout Houseって名前にしよう」
普通なら笑い話で終わる。だがマットは、いざ会社を立ち上げる機会を得たとき、その言葉をそのまま社名にした。
まじめな使命感と、肩の力を抜いた人間味。その両方が同居している。THTの物語は、そこから始まり、今も続いている。
