思い描いていたキャリアが、景気の波で突然ほどけていく。努力してきたはずなのに、仕事が見つからない。そんな停滞と不安の中で、人生を「やり直す」決断を迫られた青年がいた。
頼れる人脈は多くない。貯金もほとんどない。それでも、観光の仕事で祖国の魅力を届けたいという気持ちだけは消えなかった。やがて彼は、手元の約20万スリランカルピーを元手に会社を立ち上げる。
月に1〜2件の予約が入れば成功——そう考えていた事業は、最盛期には月20〜30件の予約を扱うまでに成長する。だがその先に待っていたのは、テロ、コロナ、経済危機という「観光が止まる現実」だった。
不安定な時代に折れない力を育てる方法
スリランカには、金色のビーチがある。どこまでも続く茶畑がある。宝石があり、ゾウもいる。「インド洋の真珠」と呼ばれることもある国だ。
ニシャン・ラジャカルナは、その魅力を世界に届けたかった。父は国家公認のガイドとして長く働き、スリランカの観光を誇りにしていた。その背中を見て育ったニシャンも、いつか自分の手で観光の仕事を作りたいと思うようになった。
こうしてニシャンは旅行会社「トータル・トラベル・ソリューション」を立ち上げることになる。ただし、その道のりは、きれいな景色のように穏やかではなかった。
化学工学を学んだのに、仕事がない
ニシャンは学生時代、スリランカで大学進学に必要な課程を終えた後、アメリカへ渡った。名門大学で化学工学を学び、卒業したら製薬会社で化学エンジニアとして働くつもりだった。
ところが、当時のアメリカは大不況だった。求人が少なく、探しても探しても仕事が見つからない。1年たっても状況は変わらず、ニシャンは厳しい現実を受け止めた。
2009年の終わりごろ、ニシャンはスリランカへ戻る決断をする。友人は少ない。貯金もほとんどない。人生をもう一度、最初から作り直す必要があった。
旅行会社で学び、紅茶会社でヒントを拾う
帰国後、ニシャンが最初に入ったのは小さな旅行会社だった。ここで観光の現場を学んだが、給料は低く、3か月で辞めた。その後もいくつかの会社を経験し、最後に大きな紅茶輸出会社に就職する。安定した給料を得て、4年間働いた。
紅茶会社の研修で、ニシャンはパンフレットのある言葉に目が止まる。「総合的な紅茶の解決策」。
“総合的な解決策”という考え方が、頭に残った。旅行でも同じことができるのではないか。移動、ホテル、ガイド、体験、全部をまとめて設計し、客にとっての「答え」を作る会社。
そこに、父の経験が重なる。父はフランス語も話せる国家公認ガイドで、長年、海外の旅行者を案内してきた。ニシャンは思った。自分の行動力と、父の現場の知恵を組み合わせれば勝負できる、と。
25歳、貯金20万ルピーで会社を作る
2011年9月、ニシャンは25歳で「トータル・トラベル・ソリューション」を会社として登録した。当時は取締役が2人必要だったため、父も役員にした。ただし、事業を前に進める中心はニシャンだった。
外部の投資家に頼らない。知人から大金を借りない。元手は自分の貯金、約20万スリランカルピーだけ。小さく始めて、確実に積み上げる作戦だった。
戦略より先に、まず行動
化学工学の学位は、観光ビジネスの教科書ではない。経営は現場で覚えるしかなかった。
ニシャンが最初にやったことは、とにかく海外の旅行代理店へメールを送ることだった。細かい計画を作り込むより、反応がある場所を探した。
すると、スペインの大手旅行会社から返信が来た。スリランカ側のパートナーを探しているという。話は進み、1年契約が決まった。
最初の予約も、その会社経由で入った。この提携が、会社を一気に前へ押し出した。
「月1〜2件で成功」のはずが、寝る時間が消えた
創業当初、ニシャンの目標は控えめだった。月に1〜2件予約が入れば成功。そう考えていた。
1年目の利益は約100万スリランカルピー。海外の通貨に換算すると小さく見えるかもしれないが、現地では大きな意味を持つ数字だった。
ただ、その利益は楽して生まれたものではない。ニシャンはフルタイムの仕事を続けながら、副業として会社を回していた。2012年から2014年は、ほぼ毎日働き、平均睡眠時間は4時間ほどだった。
ほとんど一人で、予約対応も手配も調整も全部やる。旅行は「楽しい思い出」を作る仕事だが、裏側は細かい確認の連続だ。ミスが出れば、客の一生の旅が壊れる。ニシャンは細部まで自分で見た。
最盛期、月20〜30件の予約へ
努力は積み上がり、会社は伸びた。2016年から2018年にかけて、トータル・トラベル・ソリューションは最盛期を迎える。月に20〜30件の予約を扱う規模になった。
ニシャンは、しっかり売上が立つ会社を運営するようになった。ここから先は、右肩上がりで進むはずだった。
だが、スリランカはそう簡単にいかない国だった。
テロ、コロナ、経済危機。観光が止まる
2019年、スリランカで大きなテロ事件が起きた。教会や高級ホテルが狙われ、多くの人が亡くなった。国全体が揺れ、観光は一気に冷え込む。
そして2020年3月、新型コロナウイルスが世界を止めた。国境を越える移動が難しくなり、観光はほぼゼロになる。ニシャンの会社も予約がゼロになった。
2021年末ごろから少しずつ旅行需要が戻り始めたが、2022年は前例のない経済危機と政治の混乱が重なった。観光客は減り、業界全体が苦しくなる。
観光業は、国の空気に直撃される。テロが起きれば止まる。感染症が広がれば止まる。景気が崩れれば止まる。ニシャンは何度も、その現実を突きつけられた。
それでも捨てなかった理由
心が折れてもおかしくない状況だった。それでもニシャンは、観光への思いを捨てなかった。父のように、この国の良さを伝える仕事を続けたかった。
だから発想を変えた。「成長」より先に、「倒れにくさ」を作る。
危機を乗り切るために、基本を徹底する
ニシャンが大切にしたのは、派手な一発逆転ではない。基本を徹底することだった。
支出を細部まで確認し、利益を残すことを優先する。特に意識したのは固定費だった。固定費が大きい会社は、売上が落ちた瞬間に息ができなくなる。
ニシャンは、最盛期でも従業員を5人以上にしないようにした。人を増やせば売上は伸ばしやすいが、固定費も増える。危機が来たとき、会社を守れなくなる。
利益だけではなく、心の余裕も守ることを意識した。仏教の教えも学び、落ち着きと成功のバランスを取ろうとした。追い込まれたときほど、焦りは判断を壊すからだ。
さらに、好調だった7年間で貯金を増やしていた。その蓄えがあったから、不調の4年間を耐えられた。
そして目標も変えた。今は月に2件予約が入れば成功。創業時の感覚に戻し、継続を最優先にした。
収入源を一つにしない。コーチ事業という第二の柱
コロナ禍で時間が増えたとき、ニシャンは成功哲学やコーチングを学び始めた。著名なコーチから学び、自分でもコーチ事業を立ち上げる。
ブランド名は「コーチ・カーター」。受講者を指導し、その収入が会社を支える柱になっていった。
目的はお金だけではない。若いスリランカの起業家が成長する手助けをしたい。そんな思いも強かった。活動は複数の雑誌でも取り上げられた。
ニシャンは観光だけに賭けるのをやめた。観光以外の分野にも広げ、複数のブランドを持つ形にした。観光が回復する日を待ちながら、今できることを積み上げた。
折れない力のポイント
- 固定費を小さくして、利益が残りやすい形を作る
- 好調な時期に貯金を増やし、不調期に備える
- 収入源を一つにせず、別の柱を育てる
- 利益だけでなく、心の余裕や生活のバランスも守る
- 状況が悪い時は目標を現実的に下げ、継続を優先する
危機が続く時代に必要なのは、強気の予測より、倒れにくい仕組みだ。支出を抑え、収入源を分け、目標を現実に合わせる。ニシャンの歩みは、「折れない力」は気合ではなく設計で作れることを教えてくれる。
