「コードが書けないから、テックのサービスなんて無理だ」。そう思って、最初の一歩が止まってしまう。やりたい気持ちはあるのに、何から手をつければいいのか分からない。
ウィリアム・ライトも、いわゆるソフトウェア開発者ではなかった。技術とビジネスの間にある“見えにくさ”に戸惑いながらも、そこで引き返さずに、アイデアを形にする道筋を探し続けた。
やがて彼は、月の注文数が増えるほど店が得をする仕組みを備えた注文アプリを世に出し、開始3か月で売上約4,000ポンド(約75万円)という結果も残す。プログラマーでなくてもプロダクトは作れる。その過程には、意外な現実と具体的な手順があった。
アイデアを形にするのに、プログラマーである必要はない
「コードが書けないから、テックのサービスなんて無理だ」
そう思って、最初の一歩を踏み出せない人は多い。ウィリアム・ライトも、いわゆるソフトウェア開発者ではなかった。それでも彼は、プロダクトを生み出し、世に出し、事業として育てた。PR.Dは、そのための会社として始まった。
昔のテック業界は、詳しい人だけの世界に見えがちだった。専門用語が多く、何が起きているのか外から分かりにくい。ウィリアムはそこに違和感を持った。「技術に詳しくない人にも、同じチャンスがあるべきだ」。その考えが、PR.Dの軸になった。
PR.Dの使命はシンプルだ。製品開発の分かりにくさを減らし、アイデアを“ちゃんと形にする”ための知識と道具を渡すこと。プログラマーでなくても、プロダクトは作れる。その道筋を見える形にするのがPR.Dの役割になった。
どんな仕事も、起業への足がかりになる
ウィリアムは家族の影響もあり、いつか自分の事業を持ちたいと思っていた。ただ、いきなり起業するのではなく、まずは「自分が本気になれる分野」を探した。
大学を出てから働いた業界は幅広い。製薬、物流、建設。職場が変わるたびに、仕事の進め方も価値観も違う。だがその分、どの業界でも通じる力が身についた。段取りの組み方、関係者の巻き込み方、現場の課題の見つけ方。こうした積み重ねが、あとで効いてくる。
2011年、価格比較サイトの会社で働いたとき、ウィリアムは初めて「ソフトウェアがどう作られるか」を現実の仕事として学んだ。コードを書くことよりも、作るまでの流れ全体に惹かれた。
2014年にはロンドンへ移り、スタートアップの空気の中でフィンテック企業に入った。そこは、誰かが手取り足取り教えてくれる場所ではない。自分の判断がそのまま結果になる。良い判断なら伸びるし、悪い判断なら失敗する。怖いが、成長が速い環境だった。
この時期に学んだのは、「意思決定が会社の成長を決める」ということ。そしてもう一つ、起業前の比較的安全な場所で失敗を経験できたことも大きかった。失敗の痛みを知っていると、次は同じ穴に落ちにくい。
その後12年ほど、ウィリアムはプロダクトを届ける仕事を中心に経験を積んだ。スクラムマスター、ビジネスアナリスト、プロダクトオーナー。肩書きは変わっても、共通していたのは「何を作るべきかを整理し、チームが迷わず進めるようにする」役割だった。
一方で、コードを書くこと自体に強い興味はなかった。だからこそ、技術とビジネスの間にある溝がよく見えた。2018年、その学びをまとめる形でPR.Dを立ち上げた。
分かりにくい業界を、分かりやすくする
PR.Dはコンサルティングから始まった。ただし、よくある「アドバイスだけして終わり」ではない。
ウィリアムが問題だと思っていたのは、ソフトウェア開発の現場が外から見えにくいことだった。開発会社の中には、「何ができるのか」「何が必要なのか」をはっきり言わないところもある。依頼する側は専門知識がないまま話を聞き、気づけば大きなお金と時間だけが消えていく。
よくある流れはこうだ。依頼する側が「こんなものが欲しい」と伝える。開発側はしばらく姿を見せない。そして数か月後、完成品が出てくる。そこで「思っていたのと違う」となっても、もう引き返しにくい。すでに費用がかかっているからだ。
ウィリアムは、この構造が技術に詳しくない人を不利にしていると考えた。だからPR.Dは、顧客と同じ方向を見て、一緒に作るやり方を選んだ。途中の判断も、進み方も、見える形で共有する。ブラックボックスを減らす。
まず「何を作るのか」を一緒に整理する。次に、工程の見通しを立てる。すると、開発期間が短くなり、品質が上がり、無駄な出費も減る。起業したばかりで技術面の支援が必要な人にも、大きな組織で新しい取り組みを進めたい人にも、このやり方は効いた。
そしてPR.Dは、顧客の支援だけでは終わらなかった。自分たちでもプロダクトを作り始めた。外の案件で得た知見を、社内の挑戦に回す。サービス会社でありながら、インキュベーターのようにも動く。コードが書けなくても、プロダクトを世に出したい。その情熱が、会社の形を決めていった。
地域の店を支えた注文アプリ
PR.D最初の自社プロダクトは、身近な景色から生まれた。
ロンドンには個人経営のコーヒー店が多い。だが競争相手は大手チェーンだ。宣伝力も資金力も違う。ウィリアムは考えた。「地元の店が、無理なく使える武器が必要だ」。そこで浮かんだのが、低コストの事前注文・受け取りアプリ、Yocaだった。
ただし、いきなり作り始めなかった。最初にやったのは準備だ。アイデアが生まれてから、実際に開発に入れる状態になるまで約2か月。サービスの仕組み、必要な機能、使う技術の組み合わせ。全部を紙の上で整理した。
理由は単純だ。予算が限られていたから。開発者に頼んでから迷い始めると、時間もお金も増える。だから「自分でできる準備は先にやる」。この癖は、PR.Dが顧客と仕事をするときにも大事にしている考え方になった。
準備が終わり、2019年末にフリーランスの開発者が加わった。まだ会社として小さかったため、正社員を抱えるより外部の力を使う判断をした。そして2020年初め、Yocaは完成した。
売り方は派手ではない。コーヒー店を一軒ずつ回って説明した。まずは近い地域で導入店を増やし、少しずつ広げる作戦だ。個人店のオーナーもまた起業家だ。困りごとがはっきりしている分、解決策が刺さりやすかった。
そんな矢先、感染症の流行が始まった。多くの新サービスにとっては逆風だった。だがYocaにとっては状況が変わった。事前注文は、人との距離を保ちながら営業を続ける手段になったからだ。
Yocaは、大手の配達・注文サービスよりも親しみやすく、地元の店が使いやすい選択肢として受け止められた。料金も工夫した。月の注文数が50件を超えると手数料率が下がる仕組みを用意し、最初の15%も他社の30%より低かった。店が頑張れば頑張るほど得をする設計だ。
結果は早かった。開始から1か月で、コーヒー店の利用客から500件以上の自然な登録が集まった。売上ももちろん大事だが、この時期はそれ以上に「店が生き残ることを支える」意味が大きくなった。
口コミで広がり、コーヒー店だけでなくパブやレストランでも使えるように調整された。開始3か月で売上は約4,000ポンド(約75万円)。一部の店では来店数が30%増えたという。こうした成果が注目され、英国の放送局の技術欄でも取り上げられた。
市場のすき間を見つけたら、狙いを絞って進む
Yocaの手応えを受け、PR.Dは次の分野にも目を向けた。不動産、農業など、成長の余地がある領域だ。
今のチームは5人。ウィリアムに加え、開発者2人、品質確認担当1人、マーケティング担当1人。顧客向けの開発だけでなく、自社プロダクトにも資源を回せる体制になった。
不動産分野では、新築物件の不具合管理を支える仕組みを立ち上げた。今後はその土台を広げ、防火安全や環境基準の向上など、建設の現場で役立つ使い方も検討している。
ここでの大きな学びは、「誰の問題も全部解決しようとしない」ことだった。万人向けにしようとすると、機能が増え、焦点がぼやけ、結局うまくいかない。だからPR.Dは、複雑な問題を一つ選び、技術で摩擦を少しずつ減らす改善を重ねる方針を取った。
そのために重要なのが、作り始める前の整理だ。本当に解くべき課題は何か。何が必要で、何が不要か。ここが曖昧なまま走り出すと、遠回りになる。
そしてこの準備は、必ずしも開発チームがいないとできない作業ではない。コードが書けなくてもできることは多い。ウィリアムが示したのは、その現実だった。アイデアを形にする力は、プログラミングだけで決まらない。
