初日から黒字。開始6か月で、年間売上の見込みは100万ドル(約1.5億円)に届いた。しかも外部資金に頼らず、顧客の支払いだけでたどり着いた数字だ。
ただ、その出発点は「こうすれば儲かる」といった計算ではない。あるのは、働きすぎて心と体が持たなくなり、報道の現場を離れた経験。そしてPRの仕事が、ただの形だけの作業に見えてしまった違和感だ。この2つを出発点に、スターンは「スピードは武器にする。でも無理はしない」という会社の形にたどり着く。1人で始めた仕事は、15人のチームになっても崩れなかった。何がそれを支えたのか。
毎朝2時起きのニュース現場で疲れ果てた。その経験が起業の原点になった

マイケル・スターンのキャリアは、朝も夜もないニュースの現場で始まった。メリーランド大学カレッジパーク校で放送ジャーナリズムの学位を取り、ローカルテレビの朝番組でエグゼクティブ・プロデューサーとして働いた。朝番組は「朝」から始まらない。毎朝午前2時に起きる生活が続いた。その消耗は激しく、疲れはすぐにたまっていった。
追い打ちをかけたのがコロナ禍だった。現場は、本人が「クレイジー」と表現するほどの混乱ぶりで、状況は落ち着くどころか次から次へと起きる出来事に追われ続けた。体力の消耗だけでは済まない。プレッシャーが日常になり、スターンは燃え尽きてニュース業界を離れた。
次に移ったのはPRの仕事だった。ワシントンD.C.の大手エージェンシーに所属し、Fortune 500企業(米国の売上上位500社に入る大企業)と仕事をした。仕事の中身は、企業の魅力を世の中に伝えること。ただ、働いてみて気づいたのは、誰も本気で急いでいないことだった。多くの大企業にとってPRは「やることリストを消化するだけの作業」になっていて、熱がこもりにくいのだ。
一方で、スターンの中には別の思いがずっとくすぶっていた。自分を「ずっと起業家気質だった」と語り、その根っこには子どもの頃からの小さな挑戦がある。小学校4年生のときに折り紙のカエルを売り、同じ年に校内新聞を立ち上げた。大学時代にも複数の学生メディアを立ち上げ、自分で作り、配り、読者に届くところまでやり切った。
それでも卒業後はいったん「安全な道」を選び、会社勤めを始めた。ただ、ニュースの現場で身についたスピード感と、PRの仕事で覚えた違和感は、頭の中で少しずつ重なっていった。つらい現場を離れて終わり、ではない。「何に時間を使うか」「誰のために働くか」を考え直すきっかけになっていった。
ニュースの仕事では、伝える側が体を壊すほど追い込まれる。PRの仕事では、大企業ほど形だけの作業になりがちだ。その両方を知ったスターンは、「伝えたいことがあるのに、伝え方を知らない人たち」のほうを向き始めていた。
アクセラレーターでの一問一答が「PRは高い」という思い込みをほどいた
転機が来たのは、スターン自身が仲間と立ち上げた別のスタートアップで、アクセラレーター(スタートアップの成長を短期間で後押しする支援プログラム)に参加していたときだった。参加企業の間で出たのは、資金調達やプロダクトの話ではなく、もっと素朴な問いだった。「PRはどうすればいいのか」。PR業界で働いてきたスターンだからこそ、答えられる質問だった。
スターンが答えると、その助言どおりに動いた企業は、すぐにメディアに取り上げられた。大がかりな仕掛けも、長い準備もない。「どう伝えればいいか分からない」という悩みに一つずつ答えただけで、結果が出た。
このとき分かったのは、創業者たちの足を止めているのは技術の不足ではなく「思い込み」だ、ということだった。多くの創業者はPRのために「数万ドル(数百万円)」を支払う必要があると思い込んでいる。だから、やりたい気持ちはあっても最初から諦めるか、後回しにする。けれど実際には、助言ひとつで前に進める余地が残っていた。
こうして、狙うべき相手がはっきりしていく。素晴らしいストーリーを持ちながら伝え方が分からず、従来型のPR会社の料金は払えない、あるいは払いたくない。そんな創業者たちがいる。アクセラレーターで見た「助言だけですぐ結果が出る」という体験が、この層の困りごとの深さと、自分が届けられる価値をはっきりさせた。
「作業までやってほしい」。最初の顧客の一言で、コンサルからエージェンシーへ変わった

この客層に向けて、HeadStartは2021年に立ち上がった。当初の形はPRコンサルティングだった。創業者にストーリーの伝え方を助言し、実行は創業者側がやる。時間もお金も限られるなら、まず考え方と筋道を渡すのが一番早い。そんな読みがあった。
だが最初の顧客の反応が、その読みを崩した。返ってきたのは「時間がないので作業までやってほしい」という一言だった。助言を聞いて動きたい気持ちはあるのに、実行に手を付ける余裕がない。HeadStartは比較的早い段階で、コンサルからエージェンシーへ転換した。考えるだけでなく、手を動かして成果物まで出す側に回る決断だった。
この切り替えは、提供物だけでなく事業の骨格も変えた。エージェンシー型なら継続契約になり、毎月決まった売上が入ってくる。単発の助言で終わらせず、毎月の仕事として引き受ける形にしたことで、収益も月ごとに重なっていく構造に変わった。
同時に、やり方の線引きもはっきりさせた。HeadStartが重視したのは、お金を払って掲載する広告記事ではなく、記者や信頼できる媒体を通じて取材・記事として取り上げられる形だった。創業まもない会社にとって、広告と記事では信用のされ方がまるで違う、という判断だ。
料金の決め方にも、この方針をそのまま反映した。クライアントはHeadStartにだけ支払えばよく、掲載枠を確保するための追加費用は不要という方針を取る。「メディア掲載を保証します」という売り方はしない。何にいくら払うのかが見えにくい業界で、支払い先を一つに絞り、やらないことを先に決める。コンサルからエージェンシーへ転換した直後のHeadStartは、この姿勢で信頼を勝ち取りにいった。
宣伝する前から仕事が来た。スピードを武器に「型」を増やした
事業の立ち上がりは拍子抜けするほど早かった。スターンはHeadStartのウェブサイトを水曜日に公開し、その金曜日に知人からPR支援の相談メッセージを受け取った。この時点でスターンはまだ会社勤めの身で、新しい事業の宣伝すらしていなかった。
宣伝ゼロでも相談は来る。この手応えが、次の動きを加速させた。HeadStartは、スタートアップのスピード感に合わせて、自社の強みの整理、メッセージの設計、売り込み文句の作成、実行という一連の流れを型にしていった。型が固まるほど、仕事は速く進むようになる。
ただ、この時点のHeadStartは「あらゆる業界のスタートアップ向けのエージェンシー」を名乗っていた。間口が広ければ、目の前の相談を取りこぼさない。しかしその分、速さは出ない。分野が毎回違えば、そのたびにゼロから考えることになるからだ。速さを保つには、むしろ相手を絞る必要があった。
そこでHeadStartは、できることを広げるのをやめ、絞って磨く方向へ切り替えた。対象は「健康・仕事・成長(health, work, and growth)」に関わる企業だ。誰に向けて、どんな言葉で、どんな切り口で伝えるかが揃ってくると、自社の強みの整理から実行までのつながりが途切れにくくなる。
この絞り込みの土台には、会社として掲げるミッションがある。HeadStartが引き受けるのは、使命を持つ企業や、人々の生活を変えるイノベーションを生む企業のメッセージを世の中に届ける仕事だ。こうしてHeadStartは、速さを支える「型」を増やしながら、同時に「どの仕事を引き受けるか」も絞り込んでいった。
初日から黒字で、6か月で年間売上100万ドル。社員1人から15人に増えても崩れなかった理由
HeadStartは数字の面でも急成長を見せた。初日から黒字で、事業開始から6か月で年間売上は0から100万ドルに達した。「いくら資金調達したか」が注目されがちなスタートアップ界隈で、顧客からの売上だけでここまで積み上げた。
規模の変化は売上だけではない。過去9か月で従業員数は1人から15人のチームに増えた。サービス事業は人が増えるほど連携ミスや品質のばらつきが表に出やすい。HeadStartはそのリスクを承知のうえで、人を増やし、より多くの仕事を受けられる体制を作る道を選んだ。
では、人を増やしながら、なぜ崩れなかったのか。その土台がスピードだ。2024年、PR業界のポッドキャスト番組「PR 360」に出演したマイケル・スターンは、HeadStartを「スピードの上に成り立つ会社」と呼んだ。意思決定、実行、改善までの間隔を短く保てるかどうかが、組織が大きくなったときの明暗を分ける。
ただ、速さだけでは組織はもたない。HeadStartが掲げる価値観は、「あるがままを伝える」という透明性と、心と体の健康を何より優先することだ。仕事の状況を曖昧にせず、無理を正当化しないことを、価値観として先に掲げている。
この約束を日々の運営で守り抜く担当も、はっきり決めてある。HeadStartはナオミ・ブロドスキーを共同創業者兼最高執行責任者として置き、チームの文化や仕事の進め方の基準が崩れないよう、管理する役割を任せている。スピードで伸びる会社ほど、仕事のやり方をそろえ、チームの足並みを保つ人が必要になる。HeadStartはその役目を最初から役職として用意し、人が増えても崩れない組織づくりを選んだ。
この会社には、派手な資金調達の発表も、売却の話もない。代わりに残したのは、初日から黒字、6か月で年間売上100万ドル(約1.5億円)、9か月で1人から15人という実績だ。それを支えたのは、スピードと、隠しごとをしない透明さと、無理を正当化しない働き方だった。