6年間続けた事業が行き詰まり、損失がふくらんで家賃の支払いさえ危うくなる。そんな状況から次の一手を探すしかなかった起業家がいる。
理想を抱いて始めた挑戦が壁にぶつかったとき、何を手放し、何を手元に残すのか。過去の失敗や、当時「困っていたこと」そのものが、次の事業の種になることもある。
ロシア出身のヤーコフ・カルダは、ジーンズ事業の挫折を経て、生活のために作ったWebチャットのサービスを育て、やがて会社ごと売却した。そこに至るまでの選択と試行錯誤を追う。
世界を変える前に、まず家賃を払わなければならなかった
大きな発明や成功は、かっこいい計画から生まれるとは限らない。失敗が次の道を開くこともある。
ロシア出身の起業家ヤーコフ・カルダもその一人だ。のちにWebチャットのサービスを作り、会社ごと売却する。だがその前に、6年かけたジーンズ事業で大きくつまずき、何千ドルもの損失を出していた。
しかもそのジーンズ事業は、ヤーコフが5年間学んだ分子生物学とはまったく別の分野だった。遠回りに見える選択の積み重ねが、次の仕事の材料になっていく。
商売も理科の実験のように仮説から始まる
ヤーコフは1990年代後半のロシアで育った。国の仕組みが大きく変わり、多くの人の生活が揺れた時代だ。
身近な手本は義理の父だった。技術者として工場で働いていたが、時代の変化で工場が苦しくなる。生き残るために自ら商売を始めるしかなかった。ヤーコフは、環境が変わったときに自分で道を切り開く姿を見て育った。
大学では分子生物学を学んだ。しかし研究者として生きる未来がしっくりこなくなった。努力しても生活が安定しにくく、休みの日も働くことが多い。それでも報われないことがある。ヤーコフは、もっと自由に働いてちゃんと稼げる道を選びたかった。
ただ、理科で培った考え方は捨てたわけじゃない。仮の答えを立て、試し、結果を見る。この流れは事業でも同じだとヤーコフは考えた。
当時の妻も同じ分野の学生だった。二人で話し合い、イタリアへ渡る。妻はデザインを学び、ヤーコフはファッションの売り方を学んだ。
パソコンをカスタムできるなら、ジーンズもできるはずだ
イタリアに移ってから、ヤーコフはあるパソコン会社の仕組みを知る。買う前に部品を選んで注文できるというものだ。
当時のネットでは「自分らしさ」が流行していた。ヤーコフはその考え方をファッションに持ち込みたいと思った。
運も味方した。ヤーコフが通った学校の責任者が、ジーンズで有名な会社の元幹部だった。そのつながりを頼りに仲間を集め、幼なじみをシステム担当の共同経営者に、インドで生産を担当する仲間も加えた。
こうして「ネット上でジーンズを自分好みに選んで注文できる」事業が始まった。
6年やって気づいたのは、みんなが欲しいのは「細かい選択」じゃなかった
ヤーコフたちは6年間、利益が出る形にしようと粘り続けた。専用サイトに約1,500万円($100,000、約1,500万円)を投じたこともある。
しかし結果は厳しかった。パソコンなら細かく選びたい人が多い。でもジーンズをそこまで細かく選びたい人は、思ったより少なかった。
広がり方の予想も外れた。自分でデザインしたジーンズをSNSで見せれば、友人が興味を持って広がる。そう考えていた。ところが実際には、注文したことをわざわざ人に言いたがらない人が多い。結局、広告に頼るしかなくなり、広告費がどんどん上がった。
価格の面でも苦しかった。インドで作る標準モデルは$99(約1万5,000円)。アメリカや日本で手作りされる高級ジーンズほどの魅力は出しにくい。一方で、有名ブランドの大量生産品の安さとも戦えない。真ん中に挟まれて、選ばれにくい場所にいた。
売り方をいろいろ試しても、使ったお金に見合う伸びは出なかった。
2014年、事業づくりの本を読んだヤーコフは、自分たちが袋小路に入り込んでいると気づく。利用者は少しいるのに大きく伸びず、お金だけが減っていく。
2015年1月、共同経営者と生産の仲間に連絡し、事業を終わらせる決断をした。損失は大きく、家賃の支払いさえ危なかった。
次の仕事は「理想」じゃなく「生活」から始まった
ジーンズ事業が終わったあと、ヤーコフと共同経営者には急ぎの課題があった。生活費を稼ぐことだ。
ヤーコフはイスラエルのテルアビブに移ったばかりで、新しい生活を立て直そうとしていた。そんなとき、前の事業でいつも困っていたことを思い出す。
利用者からの問い合わせに対応するチャット機能が、当時は古くて使いにくかった。ページを更新すると会話が消えてしまう。そんな基本的な部分が弱いものも多かった。
実はジーンズ事業の中で、インドの工場とやり取りするためのメッセージ機能を自分たちで作っていた。リアルタイムで会話できる仕組みだ。ちょうどそのころ、社内連絡を便利にするチャットサービスも注目され始めていた。
ヤーコフたちは考えた。スマホで当たり前になったチャットの使いやすさを、Webサイトの中にも持ち込めないか。
こうして、Webサイトに置けるチャットと、対応する側の管理画面をセットにしたサービスを作った。見た目も操作も、当時の人が慣れてきたチャットアプリに近づけた。
狙いは「問い合わせの窓口を一本化する」ことだった。Webサイトのチャット、SNS、メール。どこから連絡が来ても同じ画面でやり取りできるようにすれば、対応の手間が減り、返事も早くなる。
5か月で作り、公開した。
昔の顧客リストが、最初の命綱になった
新しいサービスを広げるとき、ヤーコフには強みがあった。ジーンズ事業の利用者のメールアドレスを持っていたのだ。
しかも、ジーンズを自分で選んで作りたいと思う人たちは、Web制作などをしている人が意外と多かった。ネットのサービスに関心がある層だった。
ヤーコフたちはその人たちにメールを送り、無料で試せる案内を出した。すると2週間ほどで、有料で使い続ける人が出始めた。さらに利用者が職場の同僚に紹介し、少しずつ広がっていった。
その後、製品を紹介するサイトに登録すると注目を集め、アプリのまとめサイトでも上位に入った。上位に入ると見つけてもらいやすくなり、別の場所に出しても勢いがつきやすかった。
タイミングもよかった。同じ種類のチャットサービスはすでに存在していて、「仕事のツールも、使いやすくて見た目がいいものがいい」という意識が広がり始めていた。先行サービスが「こういうものだ」と世の中に広めてくれていたおかげで、後から出す側も受け入れてもらいやすかった。
無料ユーザーが多くても無駄にはならなかった。チャット画面の下にサービス名のリンクを表示し、そこから新しい利用者が入るようにした。表示する言葉を少し変えただけで、そのリンク経由の流入が大きく増えた。
2016年の終わりごろには収入と支出がつり合い、赤字ではなくなった。主な利用者はネット通販をする中小企業だったが、大きな組織が使う例も一部あった。
そして生活できるだけの収入が出始めたころ、思いがけず「会社を売らないか」という話が持ち上がる。
匿名の買い手からメールが届き、話が一気に進展した
サービスは伸びていた。でもヤーコフは次の伸ばし方に悩み始めていた。急激な成長は見込みにくく、打てる手も限られていた。
広告費が上がり続ける問題も重くのしかかった。資金力のある会社が広告に大金を投じると、同じ媒体で宣伝するだけでコストがかさむ。
このまま戦うなら、大企業向けの機能を増やして強い競合と正面から勝負する必要がある。そのために外部から大きなお金を集める道もある。一方で、無理に勝負せず会社を売る選択もある。
ヤーコフは売却も視野に入れ、何人かと話したが、希望する金額には届かなかった。
そんなある日、フランスの投資銀行を名乗る相手からメールが届く。買い手は匿名だが、希望金額の範囲にも納得しているという。
話が進むと、買い手はフランスの会社だった。ネット通販向けに、販売や宣伝の作業をサポートするサービスを提供している会社だ。同じ時期に複数の会社をまとめて買う計画を進めており、その一つとしてヤーコフの会社が選ばれた。
売却の手続きは早く進んだ。買収前に会社の中身を細かく確認する段階がすぐに始まり、ヤーコフは準備不足を反省することになった。買い手側が投資家から資金を集める必要があり、確認作業が二度行われたためだ。
2022年12月、会社は従業員ごと買収された。8年前に家賃を心配していた状況から、景色は大きく変わっていた。
ただし手放すのは簡単ではなかった。そのサービスは、長い時間を共に過ごした場所のような存在だった。一方で、同じことを続けるだけでは自分が止まってしまう感覚もあった。次へ進む必要を感じていた。
成功はゴールじゃない。動いた時間が次の材料になる
会社を売った後の生活は、思ったより難しかった。忙しい毎日から一転してやることが減り、気持ちの整理も必要になる。ヤーコフは離婚も経験し、買い手の会社で助言役として働きながら、次に何をするか迷い続けた。
それから約2年。ヤーコフはようやく新しい仕事に向き合える状態になってきた。
生活費を稼ぐ必要に追われたからこそ、人の役に立ち、ちゃんとお金を生むサービスを作れた面がある。次はもっと大きく、誰かを助ける仕事にも挑戦したい。いまは起業する人の役に立つ情報を発信する活動も始めている。
ヤーコフが最後にたどり着いた考えはシンプルだ。成功はゴールじゃない。本気で取り組む過程にある。目の前の仕事に力を注いでいれば、遠回りに見えた経験が、いつか本当に作るべきものにつながることがある。
