「授業で学んだことは、社会に出たら役に立たない」。そう感じた経験がある人は少なくないはずだ。架空のケースで議論してテストを受けて終わり、現実の仕事や悩みとはつながらないまま、学びが消費されていく。
もし大学の授業そのものが、実在する企業の「いま困っている問題」を解く場になったらどうだろう。学生は眠い講義ではなく、当事者のいる課題に向き合う。企業は外部のコンサルとは違う視点を、手ごろなコストで得られる。
オランダで生まれた「Master Challenge」は、その発想を仕組みにした取り組みだ。年商10万ユーロ超(約1,600万円規模、€100,000)に育つまでに、大学の中で何が起きていたのか。
大学の授業は、現実とつながっているのか
「学校の勉強は社会に出たら役に立たない」という声は昔からある。起業する人の中には、授業や課題よりも自分のビジネスを優先し、大学での学びを遠回りだと感じる人もいる。
理由は単純だ。授業で出される課題が、現実の仕事や悩みと結びついていないことが多い。架空の会社の話を考え、テストで点を取って終わる。これでは「何のためにやるのか」が見えにくい。
逆に、大学の授業が「本物の会社の困りごと」を解決する場になったらどうか。学んだことをすぐに使い、成果も形として残せるなら、学びの意味は変わってくる。
その発想から生まれたのが、オランダの研究者で起業家でもあるブラム・カイケンの「Master Challenge」だ。
大学の仕組みが変わりにくい理由
ブラムは博士課程にいたころ、大学の研究プロジェクトをスタートアップに変えた経験がある。大学の中にいながら、授業と現実社会の間に深い溝があることを痛感していた。
多くの授業では、学生は架空のケースに取り組み、最後は試験で評価される。内容が現実から遠いほど、学生も教員も納得しにくい。
加えて、大学では教員が論文を出し続けることを強く求められる。授業づくりは後回しになりがちで、歴史の長い大学ほど仕組みを変えるのは容易ではない。
親は子どもに学位を取ってほしいと願うことが多い。しかし学ぶ場所は大学だけではなく、オンライン学習など自分で学び方を組み立てる選択肢も増えている。
学生が本気になるのは、学ぶ内容が「自分に関係ある」と感じたときだ。理論を現実につなげる方法こそが、教育の大きな課題になっていた。
眠い授業を、現実の挑戦に変える
ブラムは、授業中に学生が眠そうにしていたり、そもそも教室に来なかったりする姿を目にしていた。知識を覚えるだけの授業には限界がある。そう考えたブラムは、授業の形そのものを変えることにした。
鍵になったのが「チャレンジ学習」だ。
Master Challengeでは、まず企業に声をかけ、実際に困っているビジネス上の問題を「チャレンジ」として提供してもらう。そのチャレンジを大学の授業に組み込み、学生がチームで解決に取り組む。
黒板の上の議論で終わらない。目の前に実在する相手がいて、その相手に届く提案や解決策を作る。そこが決定的に違う。
企業は比較的手ごろなコストで学生の新しい視点や分析を得られる。学生は教科書の知識を現実の問題に活かし、成果物として残せる。大学にとっても、授業を社会とつなげる具体的な方法になる。
大学の中から、事業として動き出す
ブラムは大学で働きながら、自分の部署にこの仕組みを提案した。大学は「いいね」で終わらなかった。Master Challengeを事業として立ち上げることを後押しし、起業家向けの融資まで用意した。条件は、収益の一部を大学に戻すこと。こうして、教育を変える試みがビジネスとして回り始めた。
教育の仕組みは、お金になるのか
Master Challengeの収益は、参加企業が支払う利用料で成り立つ。教員は同時に複数のチャレンジを扱えるため、3か月の授業期間で一定の売上が見込める。
ただし、企業・大学・学生を集めて適切に組み合わせる作業は手間がかかる。ここがボトルネックになった。
そこでブラムは、運用を効率化するプラットフォームを開発し始めた。企業がチャレンジを投稿し、授業側が承認して進める流れを整えるためだ。
さらに「誰と誰を組ませるか」を適切に決めるため、古くから研究されてきた「安定マッチング」の考え方も取り入れた。片方だけが得をしてもう片方が不満になる組み合わせを減らし、継続しやすい形にするためだ。
チーム作りも、結果を左右する
現実の問題に挑む以上、チームの作り方も重要になる。学生に自由に組ませると、仲のいい人同士・似たタイプ同士で固まりやすく、視点が偏りがちだ。
Master Challengeでは、性別や専攻などの質問に答えてもらい、普段なら一緒にならない人同士が組めるよう工夫している。多様な視点が入るほど、企業の問題に対して幅広い解決策が生まれやすくなる。
現実が相手だから、いつも成功とは限らない
本物の課題を扱う以上、成果が常に優れているとは限らない。チームの相性が悪いこともあれば、企業とのやり取りがうまくいかないこともある。
だからMaster Challengeでは、最初から企業に期待値を調整してもらう。学生の成果にはばらつきがあることを事前に伝えるのだ。
最高品質だけを求めるなら、高い費用を払ってコンサル会社に頼むべきだ。その線引きもはっきりさせる。それでも多くの企業は学生の提案に満足し、インターンの機会を提供するなど、授業の枠を超えた関係が生まれることもある。
取り組みは、大学の外へ広がっていく
始めてみると、オランダ国内の大学から注目が集まった。最初のころは積極的な営業をしなくても参加希望が集まり、教員の間には「取り残されたくない」という空気も生まれた。
Master Challengeは、まだ接点のない教員にもメールで案内し、授業内容に合うチャレンジを用意できるよう働きかけた。
さらに別の試みとして、授業とは別に学生が自由時間で参加できる「課外チャレンジ」も作り始めた。授業や教員に依存しない形にすると、今度は大学の外から参加者を集める必要が生じる。広告など新しい手法が求められ、この点はまだ試行錯誤が続いている。
教師の目を持った起業家
ブラムは企業や教員と話すとき、いつも「教育と実務の差をどう埋めるか」を中心に置く。授業の内容を聞き、どんなチャレンジなら組み込めるかを一緒に考える。その議論そのものが、仕組みを改善する材料になる。
Master Challengeは年商10万ユーロを超える規模に成長し、国内の主要大学の多くと関係を築いた。ブラムは大学の仕事を離れ、この事業に専念するようになった。
それでも教えることへの情熱は消えない。週に1回は授業も続けている。
大学の中から仕組みを変え、学びを現実につなげる場を作る。Master Challengeは、暗記中心の学びを社会で使える経験へと変える試みとして、今も広がり続けている。
