年商300万ドル(約4.7億円)規模まで成長したSaaSに、数百万ドル(数億円)規模の現金買収提案が届く。社員は30人、全員リモート。しかもAirbnbから「おすすめのソフト会社」として名前が挙がる状況にあった。
普通なら、もっと先を目指したくなるはずだ。それでも創業者は、あえて会社を手放した。
うまく回っていた事業をなぜ売ったのか。そこには、過去の失敗で身につけた「調子がいいときほど足元が崩れる」という感覚と、次の選択肢を残すための現実的な判断があった。
うまく回っていた会社を、あえて手放した
アイルランド出身のビニー・ブレスリンは、「チャンスは来たときにつかむ」と決めて生きてきた。
ある日、短期宿泊を運営する人向けのサービス「Uplisting」に、数百万ドル規模(数億円規模)の買収提案が現金で届く。ビニーはそれを受け入れた。
不思議に思う人もいるだろう。Uplistingはすでに伸びていた。年間で何億ドルもの予約(数百億円規模)を処理し、社員は30人。全員リモートで働き、Airbnbから「おすすめのソフト会社」として名前が挙がる立場にもあった。普通なら、もっと先まで走りたくなる。
それでも売ったのは、「うまくいく時期が永遠に続くわけじゃない」とビニーが知っていたからだ。20代のころは仕事も業界も落ち着かず、母親と始めた会社も一度は失敗している。調子がいいときほど、足元が急に崩れる。だからこそ、目の前の選択肢を軽く扱わなかった。
ここからは、ビニーがどうやってUplistingを作り、なぜ売却まで進んだのかを追っていく。
いつも動いていた母親の背中
ビニーにとって「起業家」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、母親のシアン・ブレスリンだった。
シアンは学校の先生をしながら、ツイードの服を縫って地元の店で売っていた。さらに近所の女性に縫い方を教え、専門家を呼んで教室まで開く。教えることが得意で、人を巻き込むのが自然にできるタイプだった。
ビニーの記憶には、家のガレージにミシンが何台も並んでいた光景がある。母親が忙しく動き回るのは、特別なことではなく日常だった。
もう一つ、ビニーの人生を動かしたものがある。田舎町にインターネットが一気に広がったことだ。
1990年代のアイルランドの田舎で育ったビニーは、不便な時代も、その後の便利さも両方知っている。10歳のころ、都会の子どもと同じ情報に触れられるようになった。その衝撃は大きかった。
13歳のときには、観光客向けの宝探しゲーム「Treasure Ireland」を作って売った。観光案内所で30人ほどが参加し、若者向けの起業コンテストで賞も取る。その賞金で、初めてのパソコンを買った。
その後は趣味で、DreamweaverやMicrosoft Accessを使い、ぎこちない見た目のWebサイトを作り続けた。ここで身についたのは、使う人が迷わない画面や操作の流れを考える力だった。後にUplistingを伸ばすとき、この感覚が効いてくる。
安定を選んだのに、心が追いつかなかった
2005年、ビニーは父親と同じ道を意識して土木工学を学ぶため、ウェールズの大学に進んだ。本当はプログラミングの道に進んでいたかもしれない。だが当時はネット企業の失敗が話題になった直後で、同世代にはITを避ける空気もあった。
土木の仕事は悪くなかった。卒業後、アイルランドの景気が上向き、首都ダブリンでは街づくりが進んでいた。仕事もある。
ただ、ビニーは満足できなかった。問題を解くのは好きでも、担当するのは橋や道路の一部分で、完成まで何年もかかる。最初から最後まで自分で動かして、結果が見える仕事がしたかった。
2010年、ビニーは土木を辞め、アイルランドも離れてロンドンへ向かう。デザインの仕事に移り、メディア会社で企画をまとめる役を担った。別のデザイン会社に移ってからは、放送局や新聞社など大きな会社の仕事にも関わった。
それでも「自分のものを作りたい」という気持ちは消えない。そこで、原点に戻る。母親の活動を事業にできないかと考えた。
親子で集めた資金が、かえって足かせになった
ビニーが大学へ行った2005年、両親は16部屋の宿を買った。母親のシアンはそこで、近所の母親たち向けに料理教室を始める。安くて健康的な料理を教える場は人気になった。
ビニーは思った。「これ、もっと広い人たちに届けられるんじゃないか」
2012年、ビニーは母親と組み、投資家を回り、電話で説明し、コンテストにも出て、約50万ドル(約7,800万円)を集めて「Sian's Plan」を始めた。
だが、最初から違和感があった。実績がない状態で「投資する価値がある」と信じてもらうために自分を売り込む。その時間と気力がしんどかった。
さらに、投資家のお金が入ると、会社は強いプレッシャーの中で動き始める。Sian's Planはユーザーを約1万人集め、大手スーパーとも組んだ。それでも十分な利益が出ず、社内に開発担当を置けなかった。
方針を変えたくても、そのたびに多くの関係者を説得しなければならない。改善のスピードが落ち、体力だけが削られていく。
ビニーはここで一つ学ぶ。うまくいかない会社を延命させるために時間と金を使うより、続く形を作るほうに使うべきだ、と。
2015年、3年半の末にSian's Planは静かに終わった。失敗だったが、終わらせたことで次が始まる。
短期宿泊の現場で、同じ困りごとが何度も出ていた
Sian's Planの後、ビニーはロンドンでAirbnbの競合サービスを手がける会社に入る。「会社を立ち上げて経営した経験」が買われた。
そこで、利用者の不満が繰り返し出ていることに気づく。
宿を貸す側は、Airbnbの対応だけで手一杯になる。すると他の予約サイトの空き状況や料金の更新を忘れる。複数のサイトに載せていると、あるサイトの予約が別のサイトに反映されず、同じ日に二重で予約が入る。これはそのまま損になる。
2016年、その会社が買収された。ビニーは決めた。次はこの問題を解決する会社を作ろう、と。
複数の予約サイト間で空き状況をそろえる仕組みが必要だと確信していた。
結婚式で集まった仲間が、共同創業者になった
2017年、ビニーはアイルランドで結婚式を挙げた。そこに招いた元同僚2人が、のちにUplistingを一緒に作る仲間になる。技術面を任せられる共同創業者だった。
3人は毎日話しながら進めたが、その後6年間、直接会うことはなかったという。それでも会社は前に進んだ。最初から「リモートで作る」が当たり前になっていった。
前の失敗を、一つずつ反対側からつぶしていった
ビニーは、Sian's Planで痛かった点を、Uplistingでは一つずつ直した。
まず、大きな外部資金を避けた。後にユーザーから少しだけ資金を集めることはあっても、決定権を失わない形にこだわった。
最初の2年間は生活費のために別の仕事をしながら進めた。共同創業者が開発を担ったので、開発者を大量に雇う必要もなかった。
そして何より、利用者の声を毎日聞いた。机の上で想像して作るのではなく、困っている人と話しながら直す。地味だが、ここが強かった。
ユーザー探しは意外と苦労しなかった。短期宿泊の業界では、複数サイトの予約状況をそろえる仕組みを求める人が多かったからだ。
一番難しかったのは、Airbnbとつなぐ部分だった
ただ、大きな予約サイトと連携するのは簡単ではない。特にAirbnbとの連携は長い間うまくいかなかった。
しばらくは応急処置のような方法で耐える。Airbnb側に更新があるたびに、Uplisting側も急いで調べて合わせ直す。夜中まで作業することも多かった。
それでも連絡を続け、やり取りを重ねた結果、UplistingはAirbnbと正式につながることができた。さらに「おすすめの会社」として扱われる立場にもなった。
大きな資金を集めた競合が多い中で、これは簡単なことではない。
ビニーは、外から大金を入れずに進める強みをこう捉えていた。機能や商品の判断は、必ず売上につながる必要がある。だから判断がぶれにくい、と。
2023年末までに、Uplistingのユーザーは1,500社になり、年商は300万ドル規模(約4.7億円規模)になった。しかも母親のシアン自身もUplistingを使っていた。
このころから、買収の話が本格的に届き始める。
買いたい人が来る状況でも、安くは売らなかった
2023年、ビニーと共同創業者2人はスロベニア旅行で久しぶりに直接会った。話の中心は、大きな買収提案だった。
Uplistingの売上が伸び始めたころから、買収や出資の話は何度も来ていた。前の会社とは真逆で、「お金を出したい人が寄ってくる」状態だった。
ただし、条件が安い提案も多い。ビニーは決めていた。成長が速く価値が高い分野にいる以上、納得できない条件では売らない。
そんな中、ある投資会社の関係者から連絡が来る。今回は良い条件になるかもしれない、と感じた。
その投資会社は、宿の稼働状況などを調べるサービスを持つ企業の代わりに、Uplistingへ声をかけてきた。業界でよく知られた企業の傘下に入れば、知名度も販売力も上がる。成長が加速する可能性がある。さらに、その企業は業界データも豊富に持っていた。
ビニーは、Uplistingの弱点が「新しい利用者を増やすこと」だと見ていた。買収先の力を借りれば、そこを補える。
最後に背中を押したのは、社員の未来と自分の経験だった
条件が合い、会社と社員の将来にも良い見通しが立った。チームは売却に同意した。決断には感情も混じっていたが、引き継ぎ自体に大きな迷いはなかったという。
ただ、本当に安心できたのは、口座にお金が入ったことを確認してからだった。
売却を進めるために、チームは専門家の助けを借りて資料を整え、2023年の感謝祭の時期までに手続きを終えた。スムーズに進められた理由の一つは、株の持ち分をシンプルに保っていたことだ。決定権は共同創業者たちが手放さずにいた。
売却後、ビニーは少し休みを取りながら、次の動きを考えている。
派手な成功話よりも、選択肢を残す作り方を選べ
ビニーはこの10年ほどを振り返り、うまくいった点と失敗した点を整理している。
特に伝えたいのは、派手な話題に流されないことだ。世の中で注目されるのは、大きな資金調達の話になりやすい。だが、地道に利益を出し続ける会社を育てることは、あまり話題にならない。
ビニーは、最初の会社でその空気に流されたのが失敗だったと考えている。周りと比べるために資金を集めるのではなく、長く続けられる形で会社を作るべきだった。
もう一つ大事にしているのが、「選択肢を減らさない」ことだ。最初から大きな資金を入れると、将来は「非常に高い金額で売却する」以外の選択肢が狭まることがある。何かを決めるときは、その決断が未来の選択肢を消さないかを考える。
そしてビニーは、起業をやめる気はない。会社作りは、学びが最も多い経験の一つだと信じている。共同創業者たちと次に何をするかを話す時間を、今も楽しみにしている。
