1人1泊80ドル(約1万2,000円)で、見知らぬ人を自宅に泊める。今なら当たり前に聞こえるこの発想は、当時はかなり奇妙だった。
けれど始まりは、壮大なビジョンではない。家賃が払えないという切実な現実だった。そこからAirbnbは、「知らない人同士の不安」をどう消すかに向き合い続けていく。
エアマットレス3つから始まった小さな試みが、なぜ世界中で使われるサービスへと変わっていったのか。その過程には、技術だけでは説明できない工夫が積み重なっている。
エアマットレス3つから始まった
ブライアン・チェスキーは、最初から天才プログラマーとして起業したわけじゃない。得意だったのは、絵や形、そして「使う人がどう感じるか」を考えることだった。どう見せれば信じてもらえるか。どうすれば不安が消えるか。そういう感覚を、ずっと大切にしてきた。
Airbnbの始まりも、華やかな夢からではない。家賃が払えないという、目の前の現実がきっかけだった。
デザインの学校で身につけた「体験を作る」力
チェスキーはニューヨーク州で育ち、子どものころからアートやデザインに惹かれていった。美術やデザインを学ぶ学校に進み、そこでジョー・ゲビアと出会う。
卒業後も、機械やコードより「使いやすさ」や「伝わりやすさ」を考えるほうが性に合っていた。この感覚が、のちにAirbnbの芯になる。
サンフランシスコで家賃に追い詰められる
卒業後、チェスキーはデザインの仕事をしながら、やがてサンフランシスコへ移る。ゲビアと一緒に住み始めたが、2007年ごろ生活は苦しくなった。家賃が重くのしかかる。
そんなとき、街で大きなデザインの会議が開かれた。ホテルは満室で、泊まる場所が足りない。そこで2人は考える。
「うちに泊めたらどうだろう」
ベッドはないからエアマットレスを買った。知らない人が他人の家にお金を払って泊まる。今なら想像できるが、当時はかなり変わった発想だった。
簡単なサイトを作り、最初に泊まったのは3人。1人1泊80ドル(約1万2,000円)だったと言われている。小さな出来事だったが、一つ確かめられたことがあった。
ホテルが高い、または空いていないなら、他人の家でも泊まる人はいる。
一度の成功を「続く仕組み」に変える難しさ
週末の思いつきだけでは会社にならない。次の壁は、たまたま起きた成功を何度でも再現できる形に作り直すことだった。
そこで必要になったのが、ちゃんと動くサービスを作る力だ。ネイサン・ブレチャージックが加わり、技術面を支える共同創業者になった。
大きなイベントに合わせて利用が増えるか試しても、思ったほど予約が入らない時期もあった。アイデアが面白いと言われても、使われなければ意味がない。
最大の課題は資金不足よりも「不安」だった
初期のAirbnbが苦しんだ理由は、資金不足だけじゃない。サービスそのものが、多くの人にとって怖かった。
- 旅行者は「知らない人の家に泊まって大丈夫か」と思う
- 貸す側は「見知らぬ人を家に入れて平気か」と思う
- 投資家は「そんな行動が当たり前になるのか」と疑う
- 利用者が少ないと貸す人が増えず、貸す人が少ないと利用者も増えない
断られ続け、資金は減り、クレジットカードに頼って続けた時期もあったと言われる。改善にはお金がかかる。しかし成長しなければお金も集まらない。出口の見えない状態だった。
売れたのは宿泊サービスではなく、選挙にちなんだシリアルだった
2008年、追い詰められた3人はまったく別の手を使った。アメリカ大統領選の時期に合わせて、選挙にちなんだデザインのシリアル箱を作り、限定品として売ったのだ。
1箱40ドル(約6,000円)。結果として約3万ドル(約440万円)の利益になったという話がある。このお金は延命になっただけじゃない。
普通の方法が通らないなら、別の方法で道を作る。
この姿勢が、のちに大きな支援につながっていく。
支援プログラムが「続け方」を教えた
2009年、Airbnbは起業家を育てる支援プログラムに採用された。得られたのは少額の資金だけではない。事業の考え方や具体的な助言、そして何に集中すべきかという指針も得た。
アイデアの派手さより、あきらめずに工夫を重ねる姿が評価された、と語られることも多い。ここでサービスの形がはっきりしていった。
「エアマットレスの会社」というイメージから脱却する
成長するには、エアマットレスという狭いイメージを越える必要があった。部屋の一部だけでなく、部屋ごと・家ごと貸す形も増えていく。
同時に最も大事になったのは、信頼を積み上げることだった。使いやすさ、レビューの仕組み、支払いの安全性。知らない人同士でも安心できる空気を、サービスの中に作っていった。
投資が入り、世界へ広がっていく
支援プログラムの後、Airbnbは大きな投資を受ける。お金以上に、「この事業は伸びる」と外から認められた意味が大きかった。
2010年代、サービスは海外にも広がる。言語や地域の事情に合わせて作り直しながら、利用者と貸し手を増やしていった。
大きくなるほど、街とぶつかる
有名になると、問題も増える。短期貸しのルール、住宅不足への不安、地域への影響。都市ごとに事情が違い、反発や規制の動きが出た。
広げるだけでは済まなくなり、街ごとに向き合う必要が出てきた。
旅行が止まった年、会社も止まりかけた
2020年、世界的な感染症で旅行が急に止まった。予約は落ち込み、会社は支出を減らし、人員削減など厳しい判断をしたと言われる。
それでも、需要の変化に合わせて立て直しを進めた。近場への移動、長めの滞在。人の動きが変わるなら、サービスの形も変える。その対応が、同じ年の上場につながる土台になった。
上場で物語は一区切りになる
2020年12月、Airbnbは株式市場に上場した。家賃に困って始めた小さな試みが、世界中で使われるサービスになった。エアマットレス3つから始まった話が、上場企業にまで届いた。
ただ、上場はゴールじゃない。結果を出し続ける立場になった、という意味でもある。
チェスキーが作ったのは「安心して使える体験」だった
Airbnbはテクノロジーの会社でもある。しかし、チェスキーの出発点はプログラムではなくデザインだった。
シリアル箱で資金を作った工夫も、サービスの見せ方も、レビューや安全な支払いの整備も、すべてつながっている。知らない人同士の間にある不安を少しずつ減らしていく。そこに力を注いだ。
家賃の悩みが、世界のしくみを変えるきっかけになった
Airbnbの成長は、一発の大発明で決まったわけじゃない。家賃をどうするかという切実な問題から始まり、ホテル不足で手応えをつかみ、仲間を増やし、断られ続け、資金が尽きかけ、変わった方法で生き残り、支援と投資を受けて広がっていった。
2007年にサンフランシスコで家賃に悩んでいた時点では、こんな未来は想像しにくかったはずだ。それでも一歩ずつ形にしていった。その積み重ねが、Airbnbを作った。
