社員が少ない新会社が、国内最大級の巨大組織を最初の取引先に選ぶのは、普通なら無謀に見える。
それでも2人は、紹介もコネもない状態から1年かけて扉を叩き続け、面談の場で「30分で形にする」という無茶ぶりに応えた。
大企業の遅い手続きや、紙と承認の迷路。そのど真ん中に飛び込んだジャベドとシブは、どうやって信頼を勝ち取り、Planallyを広げていったのか。
結婚式で出会った2人が、いきなり巨大企業を動かした
2013年、マレーシアの首都クアラルンプール。ある結婚式で、ジャベドとシブは初めて言葉を交わした。
2人とも、その場で少し居心地が悪かった。マレーシア生まれなのに、若いころから海外で暮らしていて、地元のつながりがほとんどなかったからだ。
名前は聞いたことがあったが、会ったことはなかった。紹介されて話し始めると、空気はすぐに変わった。お互い人をからかって笑うのが好きで気が合い、会話が弾んだ。
そして話題は、自然に仕事へ流れた。
シブは石油・ガス業界で大きな会社と仕事をしていたが、そこで感じたのは、やり方が古いということだった。紙、ハンコ、長い承認ルート。ムダが多く、変えなければまずいと思っていた。
ジャベドはITの現場で会社の困りごとを仕組みで解決してきた。運営側の仕事も経験し、勤め先が買収されたのをきっかけに「次は自分でやりたい」という気持ちが強くなった。
話しているうちに2人は気づく。相手の経験が、自分の足りない部分を埋めている。
その夜から、2人はただの知り合いではなくなった。
帰国した2人は、母国でやり直すつもりだった。
シブはオーストラリアで大学を卒業し、銀行などで数字を分析する仕事をしていた。2012年ごろ、マレーシアの政府と関係が深い大きな会社から声がかかった。迷ったが、当時のマレーシアは成長が話題で、帰国を決めた。
戻って最初は、海外の会社にマレーシアへ投資してもらう仕事をしたが、すぐに違和感を感じた。オーストラリアで見てきたような筋の通った進め方ではなかったため、別の挑戦がしたくなった。
その後、石油・ガスの案件に移った。知識はほぼゼロだったが、学ぶのが好きだったため、働きながら学び直し、理解を深めていった。
ただ、現場はやはり遅れていた。技術が活かされていない。手続きは多いのに、うまく回っていない。もどかしさが積もっていった。
一方のジャベドは、約26年もマレーシアの外で暮らしていた。アメリカでコンピュータを学び、経営も学んだ。大手企業でまとめ役を経験し、2011年に帰国。地元のIT会社で運営を任され、数年後その会社は国内の大手通信会社に買収された。
その後も声はかかった。いい条件もあった。それでもジャベドは、新しい挑戦がしたかった。
そんな時に、結婚式でシブと出会った。
狙ったのは、マレーシアの国の石油会社だった
出会ってから、2人はなぜか何度も顔を合わせるようになった。クアラルンプールでは、行く場所が似ていると偶然が重なる。
会うたびに話したのは、同じ相手のことだった。マレーシアの国の石油会社。国内最大級で、世界でも有数の大企業だ。関連会社も海外拠点も多く、従業員は何万人規模の巨大組織である。
普通なら、最初の取引先に選ばない。入り口が見えないからだ。
それでも2人は思った。自分たちなら助けられる。あの規模だからこそ、ムダを減らせば効果が大きい。
シブには業界の知り合いはいたが、その会社の中枢と直接つながっていたわけではない。コネはない。それでも、決める立場の人に会えれば勝負できる。2人はそう信じた。
1年かけて紹介を頼み続け、やっと面談にたどり着く
2人は約1年、業界の人に会い続けた。コーヒーを飲みながら、紹介を頼み続けた。
ようやく交流会で、運営側に近い関係者と出会う。そこから話がつながり、現地の部署と面談できることになった。
面談が決まると、相手はすぐに試してきた。
「今ここで、紙で回している手続きをデジタル化できるか」
無茶ぶりに近い。だが2人は逃げなかった。その場で作業し、30分で形にして見せた。
話は上に上がり、「試してみよう」という流れになる。
こうして、社員も少ない小さな新会社が、最初の取引先として国内最大級の相手をつかんだ。
契約できても終わりではない。むしろ地獄はそこからだった
取引が始まると、壁はすぐ出てきた。書類は多い。チェックは厳しい。進め方も複雑だ。
その会社と仕事をするには特別な許可が必要だった。だが相手側も早く進めたい事情があり、許可は1日で通った。
それでも社内の一部は警戒した。小さな会社にやり方を変えられるのが嫌だったのだ。
だが、仕組みがきちんと動き、対応も粘り強いとわかると、空気は変わった。
外からの目も厳しかった。長年そこを狙ってきた会社が多い。「なぜあの2人が取れたのか」と注目され、疑われることさえあった。
それでも2人は、淡々と成果を積み上げた。
最初の仕事は「投資のお金の流れ」を追えるようにすること
最初に任されたのは、投資のお金をどう使うかを管理する手続きだった。
相手は手続き自体は作っていた。だが現場で回せていない。どこにお金が流れたか追えない。説明もできない。大企業なのに、そこが弱かった。
ジャベドは技術に強い。シブはお金の流れに強い。2人の組み合わせが、ここで効いた。
短期間で仕組みを作り、その後も品質チェック、リスクの洗い出し、案件や契約の管理など、次々とデジタル化していった。
さらに難しいのは、相手のグループ会社が多すぎることだった。事情が違う会社が何十、何百とある。そこへ広げなければ意味がない。
数か月後には、経営側から「全体で使いたい」と言われるようになった。
大企業向けに鍛えられたことで、サービスが強くなった
1つの契約の中に多くの会社が含まれていた。だから作り直しや改善の機会が何度も来た。
普通なら面倒でしかない。だが2人は違った。これはサービスを鍛える機会だと考えた。
最終的に、その石油会社は世界中の拠点で使う前提で、まとめて契約する形を選んだ。こうした契約は、資金力のある大手の請負会社が結ぶことが多く、小さな会社には異例だった。
ただし契約調整は長引いた。しかも「正式に決まるまで新しい注文は出せない」という条件があった。数か月は売上が入りにくく、苦しい時期が続く。
それでも契約が決まると、注文が一気に積み上がった。会社は次の成長へ進めるようになった。
Planallyは「計画を実行に変える」ためのツール
2人が作ったのがPlanallyだ。
会社の手続きを整えてムダを減らし、計画を実行に移すためのソフト。紙や口頭で回っていた流れを画面上で整理し、「誰が」「何を」「いつまでに」やるかを見えるようにする。
会社には手続きがある。でも急いで終わらせるために省略されたり、伝達がズレたりする。結果として仕事が止まり、責任の所在もあいまいになる。
Planallyは、手続きをわかりやすく画面に落とし込み、誰でも扱いやすい形にすることを目指した。
使い道も広い。補助金の使い道を追うこともできるし、工場で複雑な製品を作る工程管理にも使える。
大企業だけのツールにしたくなくて、料金を作り直した
事業が安定してくると、2人の考えは変わった。
大企業向けだけでなく、小さな会社でも使えるサービスにしたい。そう思うようになった。
そこで手を入れたのが料金と画面だった。2019年の終わりごろ、Planallyは見直して再スタートする。会社が自分たちで計画を作り、管理できる形へ寄せた。
料金は月額で使える形にし、大企業向けには個別調整も残した。
ジャベドは仕事を辞め、シブは9か月だけ二足のわらじを履いた
2013年に本気でやると決めたあと、ジャベドは安定した高収入の仕事を辞めた。仕組み作りに集中するためだ。小さな事務所を借り、取引先探しと開発を始めた。周りの大人は心配した。
シブは慎重だった。お金の見通しを大事にする性格で、最初の約9か月は昼は別の仕事、夜にPlanallyの仕事を続けた。
体力も精神も削られる。それでも必要な時間だと腹をくくり、仕事を辞めて合流した。
創業当初は2人のほかに仲間が2人いた。技術とビジネスの両方に関わる人と、大手企業での経験を持つ営業寄りの人だ。
契約が増えると人が足りなくなる。採用を急いだが、基準に合わない応募も多く、毎日何人も面接する時期が続いた。
良い人が見つかり始めると、人数は短期間で一気に増えた。今は20人少しのチームになり、リモートで働く形も取り入れている。国も背景も違うメンバーが集まった。
役職より名前で呼び合う空気が、チームを強くした
2人が特に大切にしたのは、話しやすさだった。
役職より名前で呼び合い、意見を言いやすい雰囲気を作る。上の立場の人が間違っていると思えば、若い開発者でも遠慮せず指摘できる。
そうした文化が、より良いやり方を見つける力になる。2人はそう考えた。
建設会社や大学にも広がり、必要とされる場所が増えた
取引先との関係が安定すると、Planallyは別の分野にも広がった。
上場している建設会社のグループでは、新しい法律への対応をグループ会社ごとに確実に進める必要があった。紙中心のやり方を整理するためにPlanallyが使われた。
国内でも大きな大学では、研究費の使い道を説明しやすくするために使われた。お金を出す側から「どこに使われたのか」と聞かれても、すぐ示せない問題があった。Planallyで流れを見えるようにし、説明しやすくした。
外出制限が、海外へ目を向けるきっかけになった
2020年3月、マレーシアは長い外出制限に入った。期間の見通しも不安定で、社会全体が落ち着かなかった。
だが2人は、これが会社の節目になると考えた。国内だけでなく、海外へ広げる準備を始めた。
外出制限の時期でも仕事は増えた。マレーシアや東南アジアでの広がりに加え、別の国も視野に入っていった。
資金調達で急がず、稼いだ金で回す道を選んだ
2人は、外部から大きな資金を受け取って急成長する道を、最初から強く狙っていたわけではない。
銀行の借り入れを勧められることもあったが、条件を見て「今は必要ない」と判断して断ることが多かった。国の支援金にも応募しなかった。
あとになって外部資金について調べ、話を聞いた時期もある。だが短期間で合わないと感じてやめた。短い時間で結論を迫られたり、会社の状況を丁寧に理解しようとしない姿勢に違和感があった。
シブは特に、会社の持ち分を簡単に手放したくなかった。お金だけ出して口を出す相手ではなく、長い目で一緒に進められる相手でないと難しい。そう考えた。
これから始める人に、2人が残した言葉
ジャベドは言う。作っているものを信じ、怖がりすぎないこと。ただし、売る力は自分たちで持つ必要がある。
自分たちで相手を納得させられないなら、あとで営業担当を雇っても同じようにはいかない。そう見ている。
同時に、こうも話す。「もし選べるなら、もう一度同じ道を歩もうとは思えない」
それほど時間も体力も使う挑戦だった。
シブが強調するのは、最初の数年をきちんと乗り切ること、そして最初から丁寧に進めることだ。
- 固定費をできるだけ小さくする
- できない仕事を無理に引き受けない
- 評判を落とすと取り戻すのが難しい
- 背伸びしすぎず、確実にやれる範囲で積み上げる
世界が急速にデジタル化する中で、巨大組織ほど動きが遅くなりやすい。手続きが多く、変えるのが難しいからだ。
ジャベドとシブの歩みは、そうした組織が変わらなければ競争に負けると気づき始めていること、そしてそこに新しい会社のチャンスがあることを示している。
