「世界を変える」どころか、まずは家賃を払うことすら危うい。そんなところから始まる起業もある。
ヤーコフ・カルダも、最初の挑戦で6年間苦しみ続けた。手応えはあるのに伸びない。改善しても利益が薄い。不安ばかりが積み上がっていく。
それでも立ち止まらず、生活費を稼ぐために作ったプロダクトが、のちにオンラインチャットサービスのChatraとなり、2022年には数百万ドル規模(約数億円規模)で売却される。遠回りの失敗は、どこで線につながったのか。
最初の起業は「世界を変える」より「家賃を払う」から始まった
大きな発明や成功の裏には、うまくいかなかった挑戦がよくある。
3Mの研究者スペンサー・シルバーは、強力な接着剤を作ろうとして失敗した。できたのは、弱いのに押すとくっつく変わったのりだった。役に立たないように見えたそののりを、同僚のアート・フライが「しおりがずれないように貼れないか」と試した。そこからポストイットが生まれた。
ヤーコフ・カルダの物語も似ている。のちにオンラインチャットサービスのChatraを作り、2022年に数百万ドル規模(約数億円規模)で売却する。だがその前に、6年間続けて大きな損失を出したカスタムジーンズ事業があった。あの失敗がなければ、Chatraは生まれていなかった。
研究の道を降りた日、別の扉が開いた
ヤーコフは1990年代後半、ソ連崩壊の混乱が残るロシアで育った。家で強い影響を与えたのは継父だった。継父は工場で働くエンジニアだったが、工場が傾き、生きるために自分で商売を始めた。
ヤーコフも大学では分子生物学を学んだ。科学は好きだった。だが、研究者として生きる姿は自分に合わないと気づく。
学界では長く下積みが続き、休日も働くことが多い。努力に比べて給料が高いとも限らない。生活のバランスも取りにくい。ヤーコフはそこで進路を変える決断をした。
ただ、学んだことが無駄になったわけではない。仮説を立て、試して、結果を見る。うまくいかなければ条件を変えてまた試す。その考え方は、ビジネスでも同じだと感じていた。
当時の妻も同じ分野の学生だった。2人で話し合い、イタリアへ移る。妻はファッションデザインを学び、ヤーコフはファッションマーケティングを学んだ。
「パソコンを選べるなら、ジーンズも選べるはず」
イタリアに移ったころ、ヤーコフはデルの仕組みに驚いた。買う前にパソコンの構成を選べる。ネットで「自分らしさ」を出す流れも強まっていた。ならば服でも同じことができるのではないか。そう考えた。
ヤーコフの学科の責任者は、リーバイスの元営業責任者だった。その後押しと投資家とのつながりもあり、ヤーコフは事業を始める。
幼なじみのスラヴァ・オレシを技術担当の共同創業者に誘い、ムンバイのクラスメイトを生産担当に迎えた。こうしてGetwearが動き出す。
Getwearは、ネット上でジーンズを自分好みにデザインしてから買えるサービスだった。
6年間の苦戦。「欲しい人が多い」は思い込みだった
3人は6年間、利益が出る形を必死で探した。カスタムできるサイトに大金を投じた時期もある。だが結果は厳しかった。パソコンほど「カスタムジーンズ」を欲しがる人はいなかった。
前提がいくつも崩れた。
買った人がSNSで自慢して広がる。そう期待していた。しかし現実は逆で、注文したデザインを人に見せたがらない人が多かった。自然な口コミが起きず、広告に頼るしかない。広告費はどんどん上がる。
しかも服の商売は、ある程度まとまった数が売れないと利益が出にくい。大量販売が必要なのに、大量販売のためには広告が必要で、その広告が高い。悪い循環だった。
価格の位置も難しかった。標準のジーンズは約1万5,000円($99)でインド製。アメリカや日本で職人が作る高級ジーンズほどの特別感は出しにくい。一方で、リーバイスやリーのような大量生産ブランドの安さとも戦えない。高級でも格安でもない、中途半端な場所に立ってしまった。
宣伝方法はいろいろ試した。それでも支出に見合うスピードで伸びなかった。
「死の谷」に落ちたと気づいた夜
2014年、ヤーコフは起業の本を読み、今いる場所に名前がついていると知る。「死の谷」だ。
商品はある。少しは買ってくれる人もいる。改善も続けている。なのに大きく伸びず、利益は薄く、資金が尽きそうになる状態。
2015年1月12日、ヤーコフはスラヴァと、生産を担当していたインドの友人に連絡した。事業を終わらせる決断だった。損失は大きい。家賃すら危うい。
次は「生活費を稼ぐため」のプロダクト
Getwearが終わったあと、ヤーコフとスラヴァはすぐに稼ぐ手段が必要になった。ヤーコフはイスラエルのテルアビブに移ったばかりで、生活を立て直したかった。
そこで思い出したのが、Getwearの運営でいつも困っていたカスタマーサポートだった。当時のチャットツールは古く、動きも悪い。ページを更新すると会話が消えるものすらあった。
Getwearでは、インドの生産拠点と連絡するためにメッセージ機能を自作していた。リアルタイムで会話でき、後のSlackに近い感覚だった。Slackは2014年に出たばかりで、2015年はまだ広がり始めたころだ。
「スマホで当たり前になったチャットの便利さを、ウェブサイトにも持ち込めないか」
そう考えて作ったのがChatraだった。ウェブサイトに埋め込むチャットと、対応する側の管理画面をセットにする。管理画面はSlackのように見やすく、サイト側の画面はメッセンジャーのように自然な会話ができる形を目指した。
さらに狙ったのは「問い合わせの窓口を一つにまとめる」ことだ。サイトのチャット、SNS、メール。入口がどこでも、同じ画面で会話のように対応できる。ここが差別化になった。
5か月で作り上げ、勝負に出た。6年間の遠回りが、ここでようやく一本の線につながった。
命綱は、昔の顧客のメールだった
Chatraが最初に伸びた理由は意外だった。Getwearの顧客の中に、テック系の人が多かったことだ。ヤーコフはその顧客のメールアドレスを持っていた。
当初は、ファッション好きの都会の人が中心になると読んでいた。だが実際には、ウェブデザイナーやフロントエンド開発者が多かった。「ネットと現実を混ぜる」発想にワクワクする人たちだった。
ヤーコフは過去の顧客にニュースレターを送り、無料で試せる案内を出した。すると2週間ほどで、有料へ切り替える人が出始めた。顧客が職場の同僚に紹介し、少しずつ輪が広がった。
その後、プロダクト紹介の場に掲載すると一気に注目が集まる。ネットショップ向けのアプリストアにも出し、メッセージ系アプリの上位に入った。上位表示されると、別の販路でも見つけられやすくなる。流れができた。
もう一つ追い風があった。ヤーコフたちは「最初の挑戦者」ではなかったことだ。Slackの登場で、仕事で使うソフトは使いやすく、見た目も良いべきだという空気が広がっていた。市場をゼロから作る人が一番苦労する。後から来る人は、その道を走りやすい。
無料版の使い方も効いた。無料ユーザーのチャット画面の下にサービスの案内文を入れ、言い回しを少し変えただけで新規利用が大きく伸びた。小さな改善が、最大の集客経路になった。
2016年末には収支がトントンになった。顧客はネットショップなどの中小企業が中心だが、例外的に大きな組織も混ざっていた。
そして生活できる収入が出始めたころ、思いがけない話が舞い込む。
正体不明のフランスから、買収の連絡
Chatraは1年ほど急成長した。だがヤーコフは、次の伸ばし方がだんだん難しくなってきたと感じていた。爆発的に伸び続ける形ではなく、打てる手が少なくなっていた。
この分野は、投資家の資金を持つ会社が広告を大量に買う。すると広告費が上がりやすい。大企業向けに切り替え、資金調達して大手と戦うのか。それとも今のまま大きく動かないのか。選択を迫られた。
ヤーコフは売却も考え始める。利益が出ていて成長もしているSaaSだ。高い評価額も狙える。ただ、条件が合わない相手もいた。
そんなある日、フランスの投資銀行から連絡が届く。買い手は匿名で、提示価格に迷いがなかった。
後に分かったのは、買い手がパリ拠点のマーケティング自動化企業で、のちにBrevoという名前になる会社だったことだ。Brevoは大きな買収の一部としてChatraを手に入れようとしていた。同じ時期に別の会社もまとめて買っていた。
話は速く進み、買収の意思を示す書類が出て、すぐに詳細な調査に入った。調査は結果的に2回行われた。買い手側が投資家から資金を集める必要があり、投資家向けの調査も追加で必要になったからだ。
2022年12月21日、Brevoは社員ごとChatraを買収した。8年前には家賃が払えそうにないところまで追い込まれていたヤーコフが、大きな資金を手にする側へ回った。
ただし手放すのは簡単ではない。Chatraは「家」のような存在だった。長く続けた分だけ、思い入れもある。だが一方で、成長が止まり始める感覚もあった。次へ進むなら、今だと感じた。
結局、大事なのは「やってみること」
買収後も、人生がずっと順調だったわけではない。離婚も経験し、しばらくはBrevoで助言役として働きながら次の道を探した。
そこから約2年がたち、ようやく新しい挑戦に向き合える状態になったという。
生活費を稼ぐために作ったChatraは、結果として多くの人の役に立つ道具になり、利益も生んだ。次は、もっと大きな目的で人を助ける仕事にも取り組みたいと考えている。創業者を助けるために、自分の経験を共有する場も作り始めた。
遠回りを重ねた末にヤーコフがつかんだ答えはシンプルだ。成功はゴールではない。作って、試して、進み続ける。その途中で、本当に作るべきものに出会うことがある。
