ムンバイで育ったヤシュ・チャバンの家計は、いつもぎりぎりだった。周りに「自分の会社で成功した人」もいない。なのに、目の前には余裕のある暮らしをする大人がいる。その差の理由が分からず、心のどこかでずっと引っかかっていた。
安定の道を選ぶべきか。それとも、自分で商売を始めるべきか。迷いながらも、ヤシュは「売る」ことに賭けた。失敗も遠回りもあったが、その手触りだけは手放さなかった。
そしてたどり着いたのが、インフルエンサーマーケティングを回す仕組み「SARAL」だ。公開は2022年12月。2023年末までに売上は100万ドル(約1.5億円)を超え、顧客は200社以上に増えていく。何が彼をそこまで押し上げたのか。その過程には、派手さよりも生々しい現実が詰まっている。
「いい暮らしがほしいなら、自分で商売を始めろ」
ムンバイの街で育ったヤシュ・チャバンは、子どものころから落ち着きがなかった。じっとしているより、何かを売ったり、誰かに話しかけたりしているほうが性に合っていた。
学校では、文房具を少しだけ仕入れてクラスメートに売った。大金にはならない。それでも「自分で工夫してお金を生む」感覚が楽しかった。いつかもっと大きな商売をやる。そんな思いが、早い段階で心に根を張った。
いまヤシュが売っているのは、インフルエンサーマーケティングを回すための仕組みだ。サービス名はSARAL。昔はえんぴつだったのが、いまは会社が使うソフトになっただけで、「売って、回して、広げる」という芯は変わっていない。
お金がある人は「自分の商売」を持っていた
ヤシュの家は、ぜいたくができる家庭ではなかった。月々のやりくりはいつもぎりぎりで、収入も安定しにくい。周りを見渡しても、「自分の会社で成功した人」は身近にいなかった。
そんなヤシュが強く印象に残したのは、父の上司だった。きれいな服、立派な時計、車。言葉にしなくても分かる「余裕」があった。
ヤシュは父に聞いた。「どうしてあの人は、あんなにいい物を持ってるのに、うちは持ってない?」
父の答えは短かった。「自分の商売を持ってるからだ」
その一言で、世界の見え方が変わった。給料をもらう側と、商売を回す側。どちらが強いか。ヤシュはそこで決めた。いつか自分も商売をやる。
それからのヤシュは、学校でも小さな実験を続けた。お菓子を仕入れて少し高く売る。えんぴつをまとめて買って売る。うまくいったり、失敗したり。その繰り返しが、ヤシュの体に「商売の感覚」を染み込ませていった。
エンジニアの道を選んだが、違和感が消えなかった
大学では工学を選んだ。インドでは工学に進む学生が多い。周りの空気もあったし、家族にとっても安心な道だった。
でもヤシュの中では、ずっと引っかかっていた。エンジニアになって大きな会社で働く。安定はするかもしれない。でもそれは、巨大な機械の小さな歯車になることじゃないか。
「机に向かって何十年も働いて、あの上司みたいな暮らしに近づけるのか?」
考えれば考えるほど、答えは出なかった。
ヤシュは10年後の自分を想像した。そこにいたのは、コードを書き続ける人間ではなかった。もっと前に出て、人を動かし、流れを作る人間だった。
動画や記事で創業者の話を聞くうちに、別の確信も育った。「起業したいなら、まず営業ができるようになれ」
家族や友人に反対されるのは分かっていた。それでもヤシュは大学をやめた。そして営業の道に進んだ。生活を変えるなら、現場で売る力を身につけるしかないと思った。
スポーツ施設からテック営業へ
ムンバイで「空いている時間」を売る
2010年代のインドは勢いがあった。仕事もチャンスも増えていく空気があった。ヤシュはそこで、まず「売る現場」に飛び込んだ。
最初の仕事は、ムンバイのフットボール用人工芝グラウンドの利用枠を売ることだった。施設は立派なのに、使われない時間が多い。つまり「空いている時間」が大量に眠っていた。
ヤシュたちは発想を変えた。フットボールだけに売るのをやめた。ジムに向けて「屋外でヨガやピラティスをやる枠」として売り出した。
ジム側にはこう説明した。「外のクラスは目立つ。宣伝になる。見た人が新しい客として来る」
売っているのは場所だが、本当は「集客の未来」だった。ヤシュはこの経験で、商売は説明の仕方で価値が変わると学んだ。
電話営業で力をつけ、スタートアップへ
ヤシュは電話での新規営業にのめり込んだ。毎日ひたすら連絡し、断られ、また連絡する。その中で、言葉の選び方、相手の反応、決断のタイミングを体で覚えていった。
短期間で、ネット通販の運営や動画ブランドのデジタルマーケティングも経験した。肩書きは変わっても、やっていたことは同じだった。「売れる流れ」を作ること。
2020年には、資金調達したテック企業に入った。インドのスタートアップ向けに法人カードを提供する会社で、ヤシュは最初の営業担当だった。毎日何百件も電話をかけ、顧客を増やした。スタートアップがゼロから立ち上がる現場を、至近距離で見た。
その後、リモートワークの波に乗ってアメリカのスタートアップでも働いた。B2Bの大きな取引の進め方、相手企業の意思決定の構造、プロダクト理解の深さ。そういうものが、インドの現場とはまた違った。
ヤシュは違いを肌で感じた。インドは人件費が安い分、人を増やして何とかしがちだ。一方アメリカは「何を出すか」を慎重に考え、品質に時間を使いやすい。
ただ、ヤシュが好きだったのは「仕組みを作って伸ばす初期」だった。成長が落ち着くと、また次を探したくなる。短い期間で成長責任者の役割を渡り歩いたのは、その性格のせいでもあった。
とはいえ、それらは生活費を稼ぐための仕事でもあった。ヤシュの本命は別にあった。自分の事業、Import Growthだった。
広告代理店の成功と、突然のピンチ
Facebook広告で毎月の売上を積み上げる
Import Growthは、B2B向けの集客の仕組み作りを強みにした。ヤシュは営業出身なのに、気づけばマーケティングの仕事まで深く入り込んでいた。売るためには、広告も導線も必要だと分かったからだ。
代理店の中心は有料広告、特にFacebook広告だった。広告費に対する運用手数料で稼ぐモデルなら、顧客が伸びるほど代理店も伸びる。
狙いは技術者の創業者だった。良いものを作れても、売り方が分からないことが多い。ヤシュは外部のマーケ責任者のような立場で支えた。
チームは4人まで増え、毎月の売上も安定した。ようやく「商売が回る」手応えが出てきた。
だが、世界はいつも予定通りには進まない。
広告のルール変更で、収益が一気に落ちる
2021年の終わりごろ、Facebookがプライバシー対応で広告ターゲティングを大きく制限した。狙った相手に広告を当てるのが難しくなり、成果が落ちた。
成果が落ちれば、手数料も落ちる。Import Growthの利益は一気に縮んだ。
ヤシュは気づいた。広告の仕組みに乗っているだけだと、土台ごと揺れる。事業の形を変えないと、生き残れない。
インフルエンサーに活路を見出す
「一人が五万人に話す」マーケティング
ヤシュは方向転換した。インフルエンサー中心の代理店へ切り替えると決めた。
すでに一部の顧客が、YouTubeやTikTokでインフルエンサーを使い、広告以上の集客をしていた。そこに答えがある気がした。
ヤシュはインフルエンサーマーケティングを「大規模な口コミ」と捉えた。普通の口コミは、一人がせいぜい百人に話す。でもインフルエンサーなら、一人が何万人にも届く。
ネット通販ブランド向けに、小さなインフルエンサーコミュニティを作り、成果に応じて報酬を払う仕組みを提案した。そしてヤシュの得意技が火を吹いた。大量の連絡と営業で、インフルエンサーを次々に集めた。
75人のインフルエンサーで在庫がなくなるほど売れる
ある健康サプリのブランドでは、ヤシュは75人のインフルエンサーを集めた。宣伝が回り始めると売上が跳ね、在庫が足りなくなるほどになった。
多くのブランドは十数人集めるだけでも苦労する。半年でそこまで作れたのは、ヤシュが連絡を打ち続けたからだ。
でも、ここで別の問題が出た。成果は出るのに、ヤシュの時間が溶けていく。気づけば1日20時間働いていた。代理店モデルは人の手で回す。人の手には限界がある。
「時間を増やさずに、同じ価値をもっと多くの顧客に届ける」には、道具がいる。ヤシュはそこでプロダクトを作る決断をした。インフルエンサー管理のSaaSだ。
ツールづくりの落とし穴と、SARALの誕生
インフルエンサー管理は、裏側の作業が多い
現場は混乱していた。複数の使いにくいツール、スプレッドシート、チャット、メール。それらをつないで、無理やり運用していた。
必要だったのは、インフルエンサー向けのCRMのような仕組みだった。
支払い。成果の追跡。投稿タイミング。投稿内容の保存と再利用。関係を保つためのやり取り。表からは見えないが、細かい作業が山ほどある。ここをまとめて管理できれば、現場は一気に楽になる。
先に売って、反応を見てから作る
ヤシュは最初から完璧な仕様を決めなかった。先に売って、反応を集めることにした。
ネット通販ブランドの担当者に大量に連絡した。送った内容はシンプルだった。
「週に5時間以上の作業が減るソフトを作ってる。15分だけ話せるか」
数週間で45人と話し、そのうち5人が月99ドル(約1.5万円)で先行利用を予約した。事業計画をきれいに書き切る前に、最初の契約が生まれた。
その瞬間、ヤシュの中で確信が固まった。これは作る価値がある。
外注のMVPで失敗し、社内開発へ
急いで形にするため、最初は外部の制作会社にMVPを頼んだ。だが納品物はひどかった。デザインが弱い。文章が分かりにくい。ボタンが動かない。これでは顧客に見せられない。
ヤシュが欲しかったのは「最初の顧客に見せても恥ずかしくないもの」だった。
そこで方針を変え、社内で開発できる人材を探した。ようやく形になるMVPを作ってリリースした。
だが試練は続いた。採用した開発者が信頼できない行動を取り、チームに残れなくなった。
ヤシュは痛感した。普通に採用して、普通に任せても、良いプロダクトはできない。信頼できるつながりから採用する。人を見る目を鍛える。これも起業の技術だった。
リリース後に急成長し、SaaSとして成功
SARALは2022年12月に公開された。開発は苦しかったが、狙った市場は外れていなかった。
2023年末までに売上は100万ドル(約1.5億円)を超え、顧客は200社以上になった。2024年初めの時点で、料金が月499ドル(約7.5万円)からという強気の設定でも、顧客は増え続けた。
子どものころに見上げた「いい車や立派な服」の世界は、もう遠い夢ではなくなっていた。
起業は「かっこいい」より「きつい」
起業したいなら、営業とマーケが近道だ
ヤシュは振り返っても、工学の道を捨てて営業に進んだ判断は正しかったと思っている。事業を動かすには、人の気持ちと行動を理解し、売れる形に落とす力が要る。
技術者は機能や細部に意識が向きやすい。だが営業やマーケティングでは、「人を理解すること」の比重が大きい。
自分で事業をやりたいなら、技術を何年も学ぶより、まず営業とマーケを学べ。ヤシュはそう考えている。
現実の起業は、想像以上に厳しい
一方でヤシュは、起業を美化する空気も嫌っている。スライドだけで資金を集め、派手に成功する。そんな話だけが広まると、現場の苦しさが見えなくなる。
ヤシュは起業の感覚を、強い言葉で語る。「ガラスを食べるようで、深い闇を見つめるようだ」
それでも続けるには、最悪を想定しておく必要がある。ヤシュが参考にしている言葉がある。
「大変さを10倍に見積もれ。それでも、さらに10倍大変になると思え」
インドを「世界に通用するプロダクトの国」へ
ヤシュの目標は個人の成功だけではない。インドは長い間、海外向けの受託開発で知られてきた。だがこれからは、世界レベルのプロダクトを生み出す国として見られるべきだと考えている。
SARALでその流れを作りたい。
営業に未来を賭けるのは危険に見えるかもしれない。だがスタートアップを作ること自体が大きな賭けだ。ヤシュにとって営業の道は、起業の厳しさに耐えるための、いちばん現実的な準備だった。
