借金と裁判で事業が崩れた後でも、再びゼロから立ち上がることができるのか。
一度は海外の有名店にも広がったブランドが続かず、心身の限界まで追い込まれたミトラに、SNSで届いた一通のメッセージが次の道を開くきっかけとなった。
カントリーミュージックへの愛を基に、作る場所にもこだわって始めたミッドナイト・ライダーは、やがて月商約1,000万円台の規模に成長した。何が彼を立て直し、前に進ませたのか。
借金と裁判の後に届いたSNSのメッセージが、彼の人生を動かした
事業は、思いつくだけで終わることが多い。形になっても、続くとは限らない。
一度うまくいったのに、借金がふくらみ、裁判まで起きて崩れたら、多くの人はそこで止まる。ミトラは止まらなかった。失敗を引きずるのではなく、本当に好きなものからやり直した。カントリーミュージックへの愛を基に、新しいブランドを立ち上げた。それがミッドナイト・ライダーだ。
「いつか自分の店を持ちたい」という子どものころの気持ちは消えなかった
ミトラが24歳のころ、デザインの学校に通いながら、販売や会社の動かし方も学んでいた。デザインや服づくりといった表現の世界と、商売の仕組みが重なる領域に興味があった。
子どものころ、飲み物を売る小さな出店をしたことがある。その体験がずっと心に残っていて、「いつか自分の店を持ちたい」という気持ちは消えなかった。
Tシャツをきっかけに、アーティストを世の中に広めようとした
学校でまとめたアイデアはシンプルだった。Tシャツをきっかけに、新しいアーティストをもっと身近にする。
美術館や専門の場所に行かなくても、街で着ているTシャツを通じて作品や作家を知ることができる。アーティスト側も、新しい客と出会える。そう考えた。
そんなとき、友人のアーティストが大手アパレルから共同企画を持ちかけられた。だが、提示された取り分は一枚あたりほんのわずかだった。ミトラは友人のために交渉役を引き受けた。
当時ミトラはロサンゼルスにいた。服を作る工場が近くにあり、学校時代にTシャツ会社で働いた経験もある。作る側のつながりもそろっていた。
広がるほど忙しくなったのに、手元に残る金は増えなかった
こうして生まれたのが、ブラッド・イズ・ニュー・ブラックというブランドだ。新しいアーティストと組み、商品は共同で持つ形にした。
Tシャツにはアーティスト名を入れ、タグにも名前を載せた。ブランド名を前に出すより、アーティストが主役になるようにした。
最初の大きな取引が、次の取引を呼んだ。海外の店にも広がり、日本の高級店やパリの有名店でも扱われるようになった。
ただ、問題は静かに積み上がっていた。外から見ると順調でも、売れても利益が少ない。すべてロサンゼルスで作っていたため、製造費も運営費も高くなりやすかった。
失敗は「運が悪かった」で片づけず、やり方の問題として見直した
ミトラはあとになって気づく。やりたいことを増やしすぎた。経験が浅いまま、いくつものことを同時に回そうとした。
ミトラは、失敗しながら学ぶタイプだ。失敗そのものも学びだと思っている。だからといって、失敗した自分を必要以上に責めても前には進めない。
結局、ブラッド・イズ・ニュー・ブラックは続かなかった。借金は大きくふくらみ、仕事を抱えすぎ、従業員も増えすぎた。利益が出にくい作り方のまま走り続けたのも痛かった。
そこへ、大きな取引の取り消しが起きる。父親が亡くなる出来事も重なった。心と体のケアを後回しにしたまま走り続け、ついには裁判にも巻き込まれた。事業用の保険があったことだけが救いだった。
事業を安値で手放し、立て直しを考えていたころ、思いがけないメッセージがSNSに届いた。ここから次の道が開けていく。
カントリー好きが「意外だね」と言われても、好きは好きだった
ミトラはアメリカで育ったイラン系の家庭の出身だ。周りから見ると、カントリーミュージック好きというのは意外に映った。それでも昔からカントリーが大好きだった。
そのミトラに連絡してきたのが、シューター・ジェニングスだった。カントリー界の有名な歌手ウェイロン・ジェニングスの息子だ。SNSの個別メッセージで、「家族のための新しいグッズ作りを手伝えないか」と相談してきた。
当時のカントリー関連のTシャツは、派手な飾りが多く、古くさい印象のものが目立っていた。ジェニングス家は、亡き父をたたえるために、まったく違う雰囲気のグッズを作りたかった。
ミトラは「自分ならできる」と確信した。そして、最初の失敗で人生が決まるわけではないと思った。
「アメリカの文化」を売るなら、作る場所まで守りたかった
カントリーの世界は、アメリカの歴史や文化と強く結びついている。ミトラはそこを大事にした。
だから、コストを下げるために海外で作るのは違うと感じた。どこで作るかも含めて、ブランドの意味になる。そう考えて動いた。
ミッドナイト・ライダーの毎日は、問題を片づける連続だった
こうしてミッドナイト・ライダーが始まった。名前は有名な曲名から取った。
ミトラは、事業を動かすことは結局、毎日出てくる困りごとを解決し続けることだと言う。楽しくて創造的な面もある。だが、日々の中心は問題解決になる。
朝起きて「今日もやる」と思える性格が必要だ。ミトラはそう信じている。
デザインに取りかかり、以前取引のあった店を回って販売先を広げていった。周囲の目を気にするより、やり切ることを優先した。家族に助けを求めるつもりもなかった。うまくいかせるしかない状況だった。
シューターの名前が、次の扉を開ける合図になった
シューターとのつながりは大きかった。新しい音楽家に声をかけるときも、「シューターと仕事をしている」と伝えるだけで話が進みやすくなる。
さらにミトラは、それまで小さな地域でしか売りにくかった音楽家のグッズを、ロサンゼルスやサンフランシスコ、ニューヨークのような大都市にも広げていった。
カントリーは乱暴な音楽ではない。弱さとやさしさを歌う音楽だ。
カントリーミュージックは、地域によっては誤解されることがある。差別的だとか、学びが足りない人の音楽だとか言われることもある。
ミトラはそれを強く否定する。カントリーは、人の弱さややさしさ、心の奥にあるものを歌う音楽だ。決めつけで見られるのは悔しい。ミトラはそう感じている。
店を開くとき、まず固定費を小さくした
ミッドナイト・ライダーはカリフォルニアのイーグルロックに、最初の実店舗を開いた。
雇った正社員は一人だけ。以前よりコストをかなり抑えた形で運営した。前の失敗で学んだことが、ここに出ている。
地域のつながりを強める活動にも関わり、近所の店で買い物をしようという取り組みを後押しした。ネット上でもSNSで発信を続け、特にインスタグラムに力を入れた。
売り上げは月に日本円でおよそ一千数百万円ほどの規模になり、提携先が増えるたびに伸びていった。最近はウィリー・ネルソンとの取り組みも始まり、ブランドの存在感はさらに強まった。
波にのまれないために、頭を整理する時間を先に取った
事業には波がある。うまくいく日もあれば、思い通りにならない日もある。
ミトラは気持ちを落ち着かせるために瞑想を取り入れてきた。数日間、頭を整理する時間をあえて取り、そのうえで次の一手を決める。
失敗しても前に進むこと。手を抜かずに働くこと。簡単に折れないこと。ミトラの歩みは、その積み重ねでできている。
