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借金と裁判で崩れた服ブランドが、SNSの一通から月商約1,000万円台に戻った

7 min read

ビジネス概要

事業タイプ

EC・D2C

フェーズ

成長期

どんな事業?

カントリーミュージシャンやその家族向けに、アーティストの世界観に合わせたグッズを企画・米国内製造し、実店舗と提携先で販売するブランド事業。

💰 いくら儲かった?

月商約1,000万円台。借金と裁判で崩壊した前事業からゼロで再起。

💡 成功の気づき × 打ち手
1
気づき

前事業では製造費と運営費が高く、仕事と人を増やすほど利益が薄くなった。

打ち手

正社員を1人に絞って固定費を最小化し、利益が残る体制で再スタートした。

2
気づき

カントリー界の有名人との最初の実績が、他の提携先を呼ぶ強力な信用になる。

打ち手

シューター・ジェニングスからのSNSの依頼を受け、その実績を起点に「あのジェニングス家と組んだ会社」として販路を広げた。

借金と裁判で事業が崩れた後でも、再びゼロから立ち上がることができるのか。

一度は海外の有名店にも広がったブランドが続かず、心身の限界まで追い込まれたミトラに、SNSで届いた一通のメッセージが次の道を開くきっかけとなった。カントリーミュージックへの愛を基に、作る場所にもこだわって始めたミッドナイト・ライダーは、やがて月商約1,000万円台の規模に成長した。何が彼を立て直し、前に進ませたのか。

借金と裁判の後に届いたSNSのメッセージが、彼の人生を動かした

出典: bootstrappers.com

事業は、思いつくだけで終わることが多い。形になっても、続くとは限らない。

一度うまくいったのに、借金がふくらみ、裁判まで起きて崩れたら、多くの人はそこで止まる。ミトラは止まらなかった。失敗を引きずるのではなく、本当に好きなものからやり直した。カントリーミュージックへの愛を基に、新しいブランドを立ち上げた。それがミッドナイト・ライダーだ。

「いつか自分の店を持ちたい」という子どものころの気持ちは消えなかった

ミトラが24歳のころ、デザインの学校に通いながら、販売や会社の動かし方も学んでいた。デザインや服づくりといった表現の世界と、商売の仕組みが重なる領域に興味があった。

子どものころ、飲み物を売る小さな出店をしたことがある。その体験がずっと心に残っていて、「いつか自分の店を持ちたい」という気持ちは消えなかった。

Tシャツをきっかけに、アーティストを世の中に広めようとした

学校でまとめたアイデアはシンプルだった。Tシャツをきっかけに、新しいアーティストをもっと身近にする。

美術館や専門の場所に行かなくても、街で着ているTシャツを通じて作品や作家を知ることができる。アーティスト側も、新しい客と出会える。そう考えた。

そんなとき、友人のアーティストが大手アパレルから共同企画を持ちかけられた。だが、提示された取り分は一枚あたりほんのわずかだった。ミトラは友人のために交渉役を引き受けた。

当時ミトラはロサンゼルスにいた。服を作る工場が近くにあり、学校時代にTシャツ会社で働いた経験もある。作る側のつながりもそろっていた。

広がるほど忙しくなったのに、手元に残る金は増えなかった

こうして生まれたのが、ブラッド・イズ・ニュー・ブラックというブランドだ。新しいアーティストと組み、商品は共同で持つ形にした。

Tシャツにはアーティスト名を入れ、タグにも名前を載せた。ブランド名を前に出すより、アーティストが主役になるようにした。

最初の大きな取引が、次の取引を呼んだ。海外の店にも広がり、日本の高級店やパリの有名店でも扱われるようになった。

ただ、問題は静かに積み上がっていた。外から見ると順調でも、売れても利益が少ない。すべてロサンゼルスで作っていたため、製造費も運営費も高くなりやすかった。

失敗は「運が悪かった」で片づけず、やり方の問題として見直した

ミトラはあとになって気づく。やりたいことを増やしすぎた。経験が浅いまま、いくつものことを同時に回そうとした。

ミトラは、失敗しながら学ぶタイプだ。失敗そのものも学びだと思っている。だからといって、失敗した自分を必要以上に責めても前には進めない。

結局、ブラッド・イズ・ニュー・ブラックは続かなかった。借金は大きくふくらみ、仕事を抱えすぎ、従業員も増えすぎた。利益が出にくい作り方のまま走り続けたのも痛かった。

そこへ、大きな取引の取り消しが起きる。父親が亡くなる出来事も重なった。心と体のケアを後回しにしたまま走り続け、ついには裁判にも巻き込まれた。事業用の保険があったことだけが救いだった。

事業を安値で手放し、立て直しを考えていたころ、思いがけないメッセージがSNSに届いた。ここから次の道が開けていく。

カントリー好きが「意外だね」と言われても、好きは好きだった

ミトラはアメリカで育ったイラン系の家庭の出身だ。周りから見ると、カントリーミュージック好きというのは意外に映った。それでも昔からカントリーが大好きだった。

そのミトラに連絡してきたのが、シューター・ジェニングスだった。カントリー界の有名な歌手ウェイロン・ジェニングスの息子だ。SNSの個別メッセージで、「家族のための新しいグッズ作りを手伝えないか」と相談してきた。

当時のカントリー関連のTシャツは、派手な飾りが多く、古くさい印象のものが目立っていた。ジェニングス家は、亡き父をたたえるために、まったく違う雰囲気のグッズを作りたかった。

ミトラは「自分ならできる」と確信した。そして、最初の失敗で人生が決まるわけではないと思った。

「アメリカの文化」を売るなら、作る場所まで守りたかった

カントリーの世界は、アメリカの歴史や文化と強く結びついている。ミトラはそこを大事にした。

だから、コストを下げるために海外で作るのは違うと感じた。どこで作るかも含めて、ブランドの意味になる。そう考えて動いた。

ミッドナイト・ライダーの毎日は、問題を片づける連続だった

こうしてミッドナイト・ライダーが始まった。名前は有名な曲名から取った。

ミトラは、事業を動かすことは結局、毎日出てくる困りごとを解決し続けることだと言う。楽しくて創造的な面もある。だが、日々の中心は問題解決になる。

朝起きて「今日もやる」と思える性格が必要だ。ミトラはそう信じている。

デザインに取りかかり、以前取引のあった店を回って販売先を広げていった。周囲の目を気にするより、やり切ることを優先した。家族に助けを求めるつもりもなかった。うまくいかせるしかない状況だった。

シューターの名前が、次の扉を開ける合図になった

シューターとのつながりは大きかった。新しい音楽家に声をかけるときも、「シューターと仕事をしている」と伝えるだけで話が進みやすくなる。

さらにミトラは、それまで小さな地域でしか売りにくかった音楽家のグッズを、ロサンゼルスやサンフランシスコ、ニューヨークのような大都市にも広げていった。

カントリーは乱暴な音楽ではない。弱さとやさしさを歌う音楽だ。

カントリーミュージックは、地域によっては誤解されることがある。差別的だとか、学びが足りない人の音楽だとか言われることもある。

ミトラはそれを強く否定する。カントリーは、人の弱さややさしさ、心の奥にあるものを歌う音楽だ。決めつけで見られるのは悔しい。ミトラはそう感じている。

店を開くとき、まず固定費を小さくした

ミッドナイト・ライダーはカリフォルニアのイーグルロックに、最初の実店舗を開いた。

雇った正社員は一人だけ。以前よりコストをかなり抑えた形で運営した。前の失敗で学んだことが、ここに出ている。

地域のつながりを強める活動にも関わり、近所の店で買い物をしようという取り組みを後押しした。ネット上でもSNSで発信を続け、特にインスタグラムに力を入れた。

売り上げは月に日本円でおよそ一千数百万円ほどの規模になり、提携先が増えるたびに伸びていった。最近はウィリー・ネルソンとの取り組みも始まり、ブランドの存在感はさらに強まった。

波にのまれないために、頭を整理する時間を先に取った

事業には波がある。うまくいく日もあれば、思い通りにならない日もある。

ミトラは気持ちを落ち着かせるために瞑想を取り入れてきた。数日間、頭を整理する時間をあえて取り、そのうえで次の一手を決める。

失敗しても前に進むこと。手を抜かずに働くこと。簡単に折れないこと。ミトラの歩みは、その積み重ねでできている。


3層インサイト

ミトラは過去の事業で借金がふくらみ、裁判にも巻き込まれた。
ミトラはデザインの学校に通いながら、販売や会社の動かし方も学んでいた(24歳ごろ)。
ミトラはTシャツをきっかけにアーティストを身近にできると考え、友人アーティストと大手アパレルの共同企画で交渉役を引き受けた。
ミトラはロサンゼルスで、近隣の工場環境と過去のTシャツ会社勤務経験を背景に、作る側のつながりを活用した。
ミトラは「ブラッド・イズ・ニュー・ブラック」を立ち上げ、Tシャツやタグにアーティスト名を入れてアーティストが主役になる設計にした。

売上拡大や取扱店の増加があっても、原価・固定費構造が悪いと利益が残らず事業継続が難しくなる。

根拠

-ブラッド・イズ・ニュー・ブラックは海外の店にも広がり、日本の高級店やパリの有名店でも扱われた。

-ブラッド・イズ・ニュー・ブラックは売れても利益が少なく、ロサンゼルス製造により製造費と運営費が高くなりやすかった。

-ブラッド・イズ・ニュー・ブラックは続かず、借金増加、仕事の抱えすぎ、従業員増加、大口取引の取り消し、父親の死が重なり、事業を安値で手放した。

事業が崩れた後の再起は、既存の強み(経験・取引先・ネットワーク)を再利用することで立ち上がりが早くなる。

根拠

-ミトラはロサンゼルスで、近隣の工場環境と過去のTシャツ会社勤務経験を背景に、作る側のつながりを活用した。

-ミトラはミッドナイト・ライダーを立ち上げ、以前取引のあった店を回って販路を広げた。

-事業を手放した後、SNSの個別メッセージでシューター・ジェニングスから相談が来た。

著名な相手との協業実績があると、次の提携や営業で信用を得やすくなり、商談が進みやすくなる。

根拠

-SNSの個別メッセージでシューター・ジェニングスから「家族のための新しいグッズ作りを手伝えないか」と相談が来た。

-シューターとのつながりにより、新しい音楽家に声をかけるときに「シューターと仕事をしている」と伝えるだけで話が進みやすくなると述べられている。

初期の実店舗運営では固定費(特に人件費)を小さく設計すると、過去の失敗要因を抑えながら運営を継続しやすい。

根拠

-ブラッド・イズ・ニュー・ブラックは続かず、借金増加、仕事の抱えすぎ、従業員増加が起きた。

-ミッドナイト・ライダーの最初の実店舗はイーグルロックに開き、正社員は一人だけで運営した。

商品設計で「誰を主役にするか」を明確にすると、ブランドの提供価値が伝わりやすくなる。

根拠

-ミトラは「ブラッド・イズ・ニュー・ブラック」を立ち上げ、Tシャツやタグにアーティスト名を入れてアーティストが主役になる設計にした。

-ミトラはTシャツをきっかけにアーティストを身近にするというアイデアを持っていた。

取扱店や売上は伸びているのに、利益が残らず資金繰りが不安定になっている。

1主要商品の1点あたりの原価、物流費、販売手数料、返品リスクを分解し、利益が残らない要因を項目別に特定する。
2製造・運営の固定費が高止まりしている場合は、製造拠点・生産ロット・商品の種類数・在庫の回転速度の前提を見直し、利益が出る条件に作り直す。
3大口取引の取り消し等の外部ショックを想定し、売上依存度の高い取引先の比率を下げる計画を作る。

一度事業が崩れた後、再起の最初の案件や販路が作れず立ち上がりが遅い。

1過去の経験・取引先・製造先・協業相手を棚卸しし、再利用できる関係を優先順位付きでリスト化する。
2以前取引のあった店舗や顧客に対して、再始動のコンセプトと提供可能な商品ラインを整理した上で再提案する。
3SNSや既存チャネルで「協業相談を受け付ける条件(対象領域・納期・最小ロット等)」を明文化して発信し、相談導線を作る。

協業や新規提携の獲得で、信用が足りず商談が前に進まない。

1既存の協業実績や関係者(紹介元)を整理し、提案資料や初回連絡で提示できる形にまとめる。
2提携候補に声をかける際は、第三者の実績・関係性を「誰と何をしたか」の事実として短く伝え、検討の前提を作る。
3協業相手が求める世界観・目的を確認し、既存商品を当てはめるのではなく、目的に沿った商品仕様の選択肢を提示する。

実店舗やチーム運営を始めたいが、固定費増で失敗リスクが高い。

1初期は人員計画を最小化し、業務を「必須業務」と「後回し可能」に分けて、正社員採用や常設コストを抑えた設計にする。
2店舗開設前に、家賃・人件費・在庫コストを含む損益分岐点を試算し、達成可能な売上前提に合う規模で開始する。
3提携先の増加に合わせて段階的に投資(人員・在庫・設備)を増やすルールを決め、売上増=即固定費増にならないようにする。