気づけば、画面を開く回数が増えている。通知を追いかけ、返信を急ぎ、頭のどこかがずっと落ち着かない。便利なはずのテクノロジーが、いつの間にか心をすり減らしていく。
ステファニー・ヘンソンも、まさにその渦中にいた。仕事は伸びているのに、終わらないメールと時差のある会議に追われ、心も体も「待機状態」から抜け出せない。不安が積み重なった末に、ある日ついに動けなくなった。
そこから約1年。彼女がたどり着いた答えは、テクノロジーを捨てることではなく、「境界線」を引いて付き合い方を整えるという現実的なものだった。その経験はやがて、750以上の組織と協力し、1万人以上の従業員に関わる支援へとつながっていく。
画面の向こうで、心がすり減っていく
スマートフォンやパソコンは便利だ。連絡も仕事も調べものも、一瞬でできる。だが便利なものほど、気づかないうちに使いすぎてしまう。
何となく画面を開き、何となく通知を追いかける。そんな日が続くと、頭が休まらなくなる。だるさが抜けず、イライラしやすくなり、人と話す気力も失われていく。こうした状態は「デジタル・バーンアウト」と呼ばれ、仕事でテクノロジーを使う時間が長いほど起きやすい。
厄介なのは、パソコンを閉じれば終わり、ではないことだ。疲れは体調にも気分にも人間関係にも広がっていく。
この問題に向き合い、「テクノロジーとちょうどよく付き合う方法」を広めようとしたのがステファニー・ヘンソンだ。テクノロジーを敵視するのではなく、良いものでも多すぎれば毒になるという考えから、techtimeoutは生まれた。
順調な昇進の先で、仕事が空っぽになった
大学卒業後、ステファニーはイギリスでデータ分析の仕事に就いた。評価され、昇進もした。外から見れば順風満帆だった。
しかし、心の中は違った。仕事への興味が薄れ、毎日が同じことの繰り返しで、何のために働いているのか分からなくなっていった。
2014年、ステファニーは思い切って生活を変える。持ち物を減らし、スーツケースとノートパソコンだけを持って友人とカナダへ移った。忙しさとストレスの日々から、スキー場の近くの暮らしへ。人生のリズムが一気に変わった。
そこで初めて、立ち止まって考えられるようになった。自分はこれから、何をしたいのか。
SNSの波に乗って、小さな会社が動き出す
当時、企業がSNSを仕事に活用するのはまだ新しい動きだった。ステファニーと友人はSix Ticksという小さな会社を立ち上げ、地元の企業にSNSの使い方を提案し始めた。
仕事は少しずつ広がり、スマホ向けのマーケティングも扱うようになり、アプリ作成サービスの販売パートナーとしても動き出した。
結果として、世界中の企業向けに70本以上のアプリ制作に関わり、SNS運用やウェブサイト制作まで手がけた。サウジアラビアのゴルフ場からオーストラリアのネイルサロンまで、仕事の種類も地域もどんどん広がっていった。
成長の代償は、終わらない通知だった
やがてビザの期限が切れ、ステファニーはイギリスへ戻る。帰国後は事業をさらに伸ばそうと、必死に働いた。
その頃から、テクノロジーとの関係が崩れていった。
毎日、何百通ものメールが届く。受信箱は常にいっぱい。時差のある国の顧客が多く、早朝と深夜の会議が同じ日に入ることもある。昼間は人と会って関係を築きながら、すき間時間に大量のメールを返し続ける。
人を雇う余裕はなく、ほとんどを自分たちで抱えた。事業が大きくなるほど連絡も通知も増え、頭の中がずっと「待機状態」になった。
朝起きてすぐブラウザを更新してメールを確認する。新しい連絡が来ていないか気になって仕方がない。返信が遅れているのではないか、サービスが足りていないのではないか。不安が積み重なり、ある日ついに限界が来た。
ベッドから起き上がれない。日常が回らない。心と体が止まってしまった。
回復の1年で学んだのは、「境界線」だった
元の状態に戻るまで、約1年かかった。ステファニーがまずやったのは気合で乗り切ることではなく、エネルギーの使い方を決め、「境界線」を作ることだった。
通知を切る。スマートウォッチをスマホから外す。仕事を時間帯や内容で分ける。小さな工夫を積み重ねて、頭が休める時間を取り戻していった。
忙しさはすぐには消えない。それでも、仕事のやり方を変えることで、壊れかけた自分を立て直せると分かった。
自分だけの問題ではない、と気づいた
回復しながら、ステファニーはデジタル疲れや生産性について調べた。すると、同じように困っている人が大勢いるはずだと気づく。
テクノロジーの使いすぎは危険をはらんでいる。しかも、管理の方法を知っていれば防げる。ならば、この知識はもっと広く知られるべきだ。
こうして既存の事業と並行して、techtimeoutを立ち上げる準備が始まった。
techtimeoutが目指すのは「テクノロジーを捨てる生活」ではない。毎日の使い方を整え、守る仕組みを作り、デジタル機器と健康的に付き合える状態をつくることだ。
感染症拡大が、仲間を連れてきた
2020年1月ごろから、techtimeoutを形にする動きが始まった。週末イベントにするか、研修会社にするか。方向性はまだ揺れていたが、長く効く仕組みにしたいという思いだけははっきりしていた。
2020年3月、感染症の拡大が起きた。イギリスでは休業制度が広がり、働けない代わりに給料の一部が支払われる人が増えた。
ステファニーの取引先だったケイト・オークリーもその状況にいた。ケイトはtechtimeoutのマーケティング責任者として参加し、さらに立ち上げを勧めていた友人のニール・ロイドが営業面の責任者として加わった。
3人で運営チームが整い、techtimeoutは2022年7月に本格始動した。
無料だけでは続かない。だから「事業」にした
techtimeoutは、人事向けプログラム、教育の取り組み、チャリティーイベントなどを通じてデジタル疲れへの理解を広げている。できるだけ多くの人を助けたいから、無料の活動も多い。
しかし、活動を長く続けるにはお金が回る仕組みも必要だ。そこで立ち上げ時に、一般の人や企業が購入できる商品を用意することにした。
ステファニーは臨床心理士にも相談し、アイデアが本当に心の健康に役立つか意見をもらった。その上で生まれたのが、techtimeout10というチャレンジ用のセットだ。
スマホは使っていなくても、視界に入るだけで集中力が落ちることがある。そこで、スマホを見えない場所にしまえるポーチを用意した。物理的に「見えない」状態を作り、気持ちを切り替えやすくする工夫だ。
最初の顧客は、ステファニーが以前から築いていたつながりから生まれた。別事業の取引先や知人が関心を持ち、試した企業から良い反応が返ってきた。
企業を変える「認定プログラム」で広がる
techtimeoutは認定プログラムでも収益を得ている。この認定では、従業員の健康的な習慣づくりを支え、気が散りにくい環境を整え、生産性を高める方法を学ぶ。
プロセスを終えた企業は、「デジタル行動が心の健康へ与える影響を管理できる仕組みを整えた企業」として認定される。
支援先は教育、専門サービス、医療など幅広い。イギリスの大きなメンタルヘルス団体との提携も進み、海外ではアメリカの顧客も獲得した。活動が国外へ広がる足がかりとなっている。
「techtimeout Tuesday」で、文化を作りにいく
techtimeoutはtechtimeout Tuesdayという全国的な呼びかけも行っている。ブラックフライデーやサイバーマンデーのようにオンラインが騒がしくなった後、意識してデバイスから離れる時間を作ろうという企画だ。
画面を見ない時間の合計を増やす。小さな行動だが、参加者が増えれば社会の空気は変わる。今後は著名人の協力も得ながら、さらに大きな動きを目指している。
投資よりも、自分たちの足で進む
立ち上げにはステファニーの自己資金も使われた。運営チームは外部資金に頼りすぎず、独立して回る状態を作ることを目標にしており、3人とも他の事業を抱えながらtechtimeoutが自立する道を探ってきた。
投資家に提案したこともあるが、今はできるだけ独立して運営し、自然に成長していく道を選びたいという考えが強い。
政府の制度を使って、チームを育てた
成長のために活用したのが政府の支援制度だった。感染症拡大期、イギリスでは若者の雇用や経験づくりを支える賃金補助の仕組みが設けられた。
techtimeoutのチームには若いメンバーが多く、仕事をしながらプロジェクト管理、マーケティング、営業、デザイン、SNS運用などを実践で学んでいった。
経験豊富な人材ばかりではないため、もちろん失敗も起きる。それでも現場で成長し、より大きな役割を担えるようになったメンバーもいる。
一番の壁は、「分かっているのに変えられない」こと
techtimeoutが直面する大きな課題は、人の行動を変えてもらうことだ。
デジタル疲れが良くないと分かっていても、デバイスから離れるのは気が進まない。毎日散歩すると体に良いと知っていても続かないのと同じで、良い結果が想像できても実際の行動に移すのは難しい。
だからこそ、伝え方が重要になる。どんな言葉なら心に届くのか。どうすれば「やってみよう」と思えるのか。
感染症拡大後、心の健康、燃え尽き、在宅勤務といった話題が注目され、変化を求める空気も高まった。伝え方を磨くことができれば、事業は安定し、経験豊富な人材も増やせる。
目標は「テック・タイムアウト」を当たり前の言葉にすること
techtimeoutの長期的な目標は、「tech timeout」という考え方が日常の言葉として自然に使われる状態をつくることだ。
返信が遅れたとき、「忙しかった」ではなく「意識してデバイスから離れていた時間があった」と言える社会にする。常に連絡が取れる状態でいなくてもいい——それを当たり前にしたい。
ステファニーが一度壊れかけた経験は、同じ苦しさを抱える人を減らすための事業へと変わった。便利さの中で疲れ切ってしまう前に、休む技術を広めようとしている。
techtimeoutの実績
- ワークショップ、ツール、学習資料などを通じて、デジタルの気が散る要因を減らし、生産性とデジタル面の健康を支援
- スタッフは約20人規模
- これまでに750以上の組織と協力し、1万人以上の従業員に関わる支援を実施
- 2021年には大きな売上規模に到達
