資金力のある大手が参入してきた瞬間、これまで積み上げてきたものが一気に崩れそうになる。広告も営業も勝てない。機能も似てくる。そんな状況に立たされると、起業家は「このまま続けて意味があるのか」と迷い始める。
Sendibleを作ったギャビン・ハマーも、2016年に成長が止まりかけた。正面から戦えば勝ち目は薄い。しかも、彼の挑戦は最初から順風満帆ではなかった。儲からない無料ツールの時代を経て、退職して背水の陣で賭けた過去もある。
それでも彼は、大手のやり方をなぞるのではなく、自分たちの「価値観」を武器にする道を選んだ。その結果、毎月の継続売上は3倍に伸び、やがて会社は次の持ち主へ渡っていく。何が転機になったのか。その中身を見ていく。
大きな会社に負けそうなとき、最後に残る武器は「価値観」
資金力のある大手が市場に入ってきて、客がごっそり持っていかれる。そんな場面に出会うと、どんな起業家でも心が折れそうになる。
Sendibleを作ったギャビン・ハマーも、まさにその壁にぶつかった。2016年、会社の成長が止まりかけた。広告も営業も、大手のほうが強い。機能も似てくる。正面から殴り合えば、勝ち目は薄い。
それでもギャビンは、逃げなかった。大手のまねをする代わりに、Sendibleが大事にしてきた価値観を前に出した。「客を大切にする」。その一点を、会社の中心に置き直した。
Sendibleは何をするサービスか
Sendibleは、会社がSNSを運用するための道具だ。
- SNS投稿の予約
- 複数SNSの反応をまとめて確認
- 数字のレポートを作って分析
どの投稿が伸びたのかを見て、次の投稿に生かす。SNSを「勘」ではなく「データ」で回せるようにする。
始まりは、父からの小さな頼みだった
きっかけは2008年。ギャビンの父がこう言った。
「社員の誕生日に、自動でメールを送れる仕組みを作れないか」
ギャビンはロンドンで開発者として働きながら、夜や週末を使って作った。3か月かけて、コマンド操作で自動メッセージを送れる仕組みを完成させた。名前はIntelliMail。
最初は、父が社員の情報をまとめて渡し、ギャビンが手作業で設定して送っていた。でもギャビンは気づく。
「これ、他の会社にも必要なはずだ」
そこでサービスとして公開することにした。
自宅サーバーから始まった。だが、儲からなかった
ギャビンは古いサーバーを安く買い、自宅のルーターにつないでサイトを公開した。名前はSendible。「何でも送れる」という意味を込めた。
最初のSendibleは無料ツールだった。主にメールの予約送信に使われ、SNSが広がるにつれてSMSやSNS投稿の予約も追加していった。
ユーザーは増えた。記事で紹介され、注目も集まった。だが、収益は弱かった。広告で稼ぐ計画はうまくいかない。集まるのは無料ユーザーばかりで、料金を払う企業や代理店が増えなかった。
本当はマーケティングも強化したかった。でもフルタイムの仕事があり、時間が足りない。投資家にも相談したが返ってきたのは冷たい言葉だった。
「それでは事業にならない」
ギャビンは悔しかった。それでも、空き時間で開発を続けた。
「会社を辞めるか、夢を捨てるか」
ギャビンはもともと、大学を卒業したころから不安を抱えていた。2001年当時、南アフリカの失業率は高く、仕事探しは簡単ではなかった。運よくプログラマーとして就職できても、「仕事がなくなる怖さ」は消えなかった。
だからこそ、最初の職場の研修で「10年後どこにいたいか」と聞かれたとき、ギャビンは自分に手紙を書いた。
「10年後、自分の会社を持つ」
その約束が現実に近づいたとき、別の問題が起きる。2009年、勤め先がこう要求してきた。
「Sendibleを続けるなら、持ち分の半分を渡せ」
交渉して10%まで下がったが、それでもつらい。利益の一部が会社に流れ続ける。深夜まで働く意味が分からなくなっていった。
最後は二択だった。
- 会社を辞めて、持ち分を買い戻し、全部を賭ける
- 事業をあきらめる
背中を押したのは当時の恋人で、のちの妻になる相手だった。教師の給料でも生活はできること、半年分の貯金があることを伝えた。
ギャビンは2010年に退職し、約200万円以上(1万ポンド以上)を払って持ち分を買い戻した。夢を、他人のものにしないためだった。
無料を捨てて、企業向けに作り直した
退職後、ギャビンはSendibleを根本から作り替えた。無料の予約投稿ツールではなく、企業向けのSNS管理サービスに変えた。
さらに、企業に直接売るだけではなく、別のB2B企業に「ホワイトラベル」で提供した。相手が自社ブランドとして売れる形で渡すやり方だ。
この転換は効いた。月約6万円ほど($400ほど)だった売上が、2010年末には年約1,500万円を超えた(年$100,000を超えた)。景気の回復で企業のSNS投資が進んだことも追い風だった。
2011年には最初の有給インターンを雇い、少しずつチームができた。マーケ担当、開発者、営業責任者も加わる。2013年には画面や使い勝手も大きく改善し、複数SNSに同時投稿できる入力画面などを整えた。
成長は続いた。だが、2016年に空気が変わる。
大手が来た。正面勝負では勝てなかった
資金力のある企業が次々と参入し、競争は一気に激しくなった。ギャビンは最初、追いつこうとした。外向き営業を強化するために営業を6人増やした。
それでも客は大手へ流れた。大手は広告費を大量に使い、派手なマーケティングで市場を押さえにくる。似た機能もすぐに出してくる。
「役に立つサービスを作る」だけでは足りない時代になった。似たものが多い中で、「なぜ選ぶのか」を示さないといけない。
ギャビンはここで方向を変えた。大手のまねはやめた。小さなチームだからできる戦い方に振り切った。
武器は「人間らしさ」だった
Sendibleが尖らせた強みは、客との向き合い方だった。機械的な対応ではなく、人がちゃんと相手をする。支払っている客が「理解されている」と感じられる関係を作る。
そのために、やったことは派手ではない。でも一つ一つが、価値観を形にする行動だった。
- サイトの写真を、素材画像ではなく実際の社員の写真に変えた
- チャットボット任せにせず、人のサポートを強めた
- 短い画面録画動画で説明し、信頼を積み上げた
- 大規模展示会より、小さな集まりを開き、客と近い距離で話した
この方針転換で、毎月の継続売上は3倍になった。大手と同じ土俵ではなく、自分たちの土俵を作った結果だった。
そして会社は、次の持ち主へ渡った
ギャビンは10年以上かけてSendibleを育て、2021年に会社を売却した。最初から売るつもりだったわけではない。ただ、コロナ禍の後はSaaS全体で成長が落ち着く流れもあり、タイミングだと判断した。
買い手が資源を投入すれば、Sendibleはさらに伸びる。そう考えた。そしてギャビン自身は、会社が大きくなった後の管理より、立ち上げ期のものづくりに戻りたかった。
売却では、利益率の高さや解約が減っていることが評価され、条件は良かった。現金での取引となり、6か月の引き継ぎ期間の後に離れられる形になった。
ただし、売却準備は社員に知らせずに進めた。数字やデータを集める必要があり、普段オープンな文化だった分、ギャビンは罪悪感も抱えた。オンライン会議で発表したとき、驚きや涙が出た。チームが家族のようだったからこそ、衝撃は大きかった。
それでも、買い手が事業を大切に扱うと信じられた。社員たちは新しい体制の下でも働き続けている。
次の挑戦へ。学びは、次の起業家へ
引き継ぎが終わると、ギャビンは新しいサービスStoryPromptに集中し始めた。Sendibleが大きくなりすぎて、自分でコードを触る機会が減っていた。もう一度、自分の手で作る感覚を取り戻したかった。
同時に、資金調達に頼らず事業を育てる創業者への助言もしている。客を中心に考える会社をどう作り、どう伸ばし、どう出口まで進めるか。大手と戦いながら価値観を守る、その現場の学びを語っている。
大きな会社に負けそうなとき、最後に残るのは金でも広告でもない。自分たちが何を大切にするか。その価値観が、会社の進む方向を決める。
