部屋を借りるだけなのに、書類は山ほど。やり取りは機械的で、相談したいことほど前に進まない——そんな不動産の「面倒くささ」に、うんざりした経験はないだろうか。
ルーマニアの起業家イリーナは、その「人間らしさが消えたやり取り」を減らしたいと考えた。高校時代のゲーム仲間と何度も失敗を重ねながら、相談から契約までの流れを整えるサービス「VAUNT」を形にしていく。
年間約1,000万円規模(約6万ユーロ)の売上が見えるところまで、外部資金に大きく頼らず少人数で積み上げてきた。遠回りだらけの挑戦が、どこで転機になったのか。
高校のゲーム仲間と共に、不動産の売り方を変える会社を作るまで
大きな街で部屋を借りようとすると、手続きがやたら多い。身元の確認、紹介者の連絡先、給料の明細、過去の賃貸の記録、前の職場の情報、税金の書類。言われるままに出していくと、申し込みの手数料や、あとで返ってくるかもしれないお金まで必要になる。
相手が大きな会社だと、話はさらに進みにくい。決まり文句だけが返ってきて、細かい相談が止まる。最後には「もう別の物件でいいや」とあきらめたくなる。
ルーマニアの起業家イリーナ・アリーネ・コンスタンティンは、こうした「人間らしさが消えたやり取り」を減らしたいと思った。そして、不動産会社が相談から契約までをスムーズに進められるツールを作った。名前はVAUNT。
ただ、そこにたどり着くまでに、いくつもの失敗があった。高校のゲーム仲間だったラズヴァン・ミトレと一緒に、遠回りしながら形にしていく物語だ。
18歳、ゲームの中で作った物を現金に変えた
イリーナが18歳のころ、世界的な不景気がルーマニアにも強く影響した。周りでも「お金が足りない」が現実の問題になっていた。イリーナも手元のお金を少しでも増やしたくて、ゲームの世界で稼ぐ方法を試した。
当時ハマっていたのは、Second Lifeというオンラインゲーム。プレイヤーが服や家具のようなアイテムを自分で作り、売り、現金に換えられる仕組みがあった。
イリーナは気づく。「思ったより作れる。しかも売れる」。最初はおこづかい目的だったのに、だんだん立体的なデザインそのものが楽しくなった。作る量が増え、評価も上がっていった。
そのゲーム仲間の小さなグループに、ラズヴァンがいた。ラズヴァンは株に興味があり、空いた時間に売り買いをしていた。2人は遊びながら、こんな話をするようになる。「どうやって商売が生まれるのか」「お金はなぜ回るのか」。
高校で積み上げた作品がきっかけになり、イリーナは大学生のころ、ゲーム会社Ubisoftで研修として働くチャンスをつかむ。そこで最年少の研修生だった。
会社員になっても、心のどこかで独立を考えていた
21歳のとき、イリーナはソフトウェア会社Bigstepで働き始める。ラズヴァンも同じ会社に入り、プログラムを作る仕事をした。
けれどイリーナの中には、ずっと引っかかるものがあった。「自分の進む道を、もっと自分で決めたい」。会社の方針に乗って成果を出すのも大事だが、誰かが決めたゲームをプレイするだけでは物足りなかった。
イリーナはラズヴァンを説得し、2人で会社を辞めて新しい事業づくりに踏み出した。
最初の挑戦は、使う人が増えずに終わった
2人は「いつか独立」ではなく、早い段階で勝負したかった。世の中に影響を出すなら、若いうちから飛び込むべきだと考えた。
最初に作ったのは、店をチェックして報酬をもらう小さなアプリ。客が店に行き、商品の並び方などを確認し、条件を満たすと報酬が受け取れる仕組みを考えた。
だが、使う人が増えない。仕組みは作れても、続けて使われるところまで届かなかった。事業は終わった。
次は飲食店の予約アプリ、でも「誰のためか」がぼやけた
次に作ったのは、飲食店の予約をしやすくするアプリ。客は予約ができ、店側は客の情報を集めて宣伝に生かせる。アイデアとしては悪くない。
ただ、ここで壁にぶつかる。「誰がいちばん困っていて、誰が強く求めているのか」がはっきりしない。必要性が弱いと広がらない。1年ほどで解散した。
デザイン会社を3年続けて、不動産の"違和感"に出会う
2015年、2人はAesthetic Worksというデザイン会社を始める。Webサイトの制作や、ネット上での見せ方を整える仕事だ。ここは続いた。3年間、地道に仕事を積み上げた。
そのうち不動産関係の依頼が増えていく。2人はもともとお金の動きにも興味があり、不動産が大きなお金の動く分野だと知っていた。
そして、仕事をするほど"違和感"が強くなる。
不動産の世界は、建物そのものにはお金をかける。でも、売り方や見せ方、契約までの進め方は意外なほど手探りだ。宣伝も、やり取りも、仕組みが整っていない。そこに大きな穴がある。
2018年、2人は不動産にしぼって力を入れることに決め、VAUNTにつながる準備を進めた。
検索では見つけてもらえない。だから電話をかけた
最初の客を増やすために、2人は不動産会社へ片っ端から電話をかけた。
不動産を開発する会社は、サイト制作会社を検索して探すことがあまりない。だから電話で、短く強い言葉を投げた。「1日でサイトを公開できる」。
不動産会社は資金がある一方で、決断が遅いことも多い。だからこそ「すぐ形になる」は魅力になる。
イリーナはもう一つ、はっきり伝えた。「売り方を変えたほうがいい」。建物に大きな看板を出すだけでは足りない。ネットでの見せ方まで含めて、他社よりわかりやすく魅力的に見せる必要がある。
客は「サイトを持っていない会社」だけではなかった。すでにサイトがあっても、不満を抱えている会社が多かった。自分たちで作ろうとして時間がかかったり、制作会社に頼んでも公開まで待たされたりして、肝心の営業に集中できない。
一般向けのサイト作成サービスでは、不動産の仕事に必要な細かな機能が足りないこともあった。
サイト制作は入口にすぎないと気づいた
サイト制作は利益が出ても、大きく増やしにくい。作る相手の数には限りがあり、作ったら終わりになりやすい。
2人は客との会話をよく聞いた。すると、本当の困りごとは別にあるとわかってくる。
物件の宣伝の仕方。問い合わせが来てからの対応。相談の積み重ね。契約までの流れ。その全体がバラバラで、進行が遅く、もったいない。
2020年、ある客のために「住まいの販売をネット中心で進められる仕組み」を考え、提案した。すると返ってきたのは、シンプルな言葉だった。「これならお金を払う価値がある」。
2人は他の小さな仕事を整理し、VAUNTとして本格的に作り始めた。
VAUNTは、相談から契約までの流れを整える
VAUNTは、不動産会社が物件を紹介し、相談から契約までを進める流れをわかりやすく整えるサービスとして作られた。
イリーナが大事にしたのは、「売って終わりにしないこと」。相手の立場に立ち、気持ちよく進むように設計する。その考え方を中心に置いた。
VAUNTが助けるのは、仕事の小さな手間の積み重ねだ。たとえばこんな部分。
- 客ごとの状況を記録して整理する
- 忙しい月とそうでもない月を見えるようにする
- 見積もりや提案を送りやすくする
- 契約の書類をネットで扱えるようにする
やり取りがきちんと残っていれば、次に連絡するときに話が早い。前回は別の担当者が話していても、どんな希望があったかがわかる。
物件だけを見るのではなく、相談している人の状況に目を向けやすくなる。ここに、人間らしさが戻ってくる。
数字が見えると、責めるより改善に向かえる
VAUNTは営業チームの動きも見えやすくする。誰がうまく進めていて、誰がつまずいているかがわかれば、助け方も考えやすい。
数字が見えると、判断も変わる。「今月が遅いのは担当者のせいではなく、季節や景気など別の理由かもしれない」と考えられる。責めるより、改善に向かえる。
イリーナは、不動産の仕事は意外と「新しい事業づくり」に似ていると感じた。最初に大きなお金をかけて建物を建てたり買ったりする一方で、どう宣伝して契約につなげるかは手探りになりやすい。そのギャップが混乱を生む。
だから、流れを整えるツールには価値がある。
大きな資金に頼らず、少人数で積み上げた
VAUNTは立ち上げ段階で、チームはイリーナとラズヴァン、そして数人の仲間という小さな規模で動いている。毎月の利用料をもらう形で、ルーマニアやヨーロッパの会社が少しずつ増えている。
年間で約1,000万円規模(約6万ユーロ)の売上が見えるところまで来た。外部から大きなお金を集めず、自分たちの力で積み上げた事業だ。
将来はアメリカにも広げたい考えがある。
いちばん大事なのは、困りごとの解決に夢中になること
イリーナは振り返る。遠回りも多かった。大きな会社で長く働けば、仕事の進め方の型や人脈を学べたかもしれない。だが、それがなかった分、失敗しながら自分たちで覚える必要があった。
その結果、進みは遅くなった。でも、失敗への耐性や立ち直る力は強くなった。
途中で投げ出したくなった時期もあった。それでも「お金を払ってくれる人がいる」という事実が、自分たちのやっていることは間違いではないと教えてくれた。
事業づくりは気持ちの面でも大変だ。最初から断られることも多い。だからこそ、断られても受け止め、相手の意見をよく聞き、必要以上に気にしすぎない姿勢が必要になる。
結論はシンプルだ。お金の集め方よりも、目の前の不便を減らすことを優先する。困りごとの解決に本気で向き合う。そこから事業は強くなる。
忙しくなった今でも、イリーナとラズヴァンは時間を見つけて一緒にゲームをする。高校時代のように同じ遊びを続けながら、次の挑戦に向かっている。
止まらずに学び続ける限り、うまくいかなかった経験も次の一手になる。失敗した経験は終わらせても、そこから得た学びまで捨てなければ、前に進める。
